男性側が指摘しているだけでなく、「個人的にはうれしいけど、今の世の中的には女性だけが半額って差別だなと思う」と言う女性も少なからずいる。
“男女で何かが違う”ことに対して、すべて「差別」と決めつけるのは、あまりにも短絡的かつ神経質。女性客、ファミリー客を集めたい民間企業による集客のための戦略までもが「差別」とされてしまっては、企業努力すらできなくなるだろう。そういう人にとっては電車における「女性車両」も差別なのだろうか。
「性差に基づかない」キャンペーンならいい
今回の食べ放題は、「TOKYO GIRLS COLLECTION」への出店記念だからこその女性客半額なのだが、「性差に基づかないキャンペーンならいい」と言う人もいる。「今回の件は別として、性差のないもの、たとえば誕生月で半額にするとかなら、受け入れやすいんですけどね」
そう言うのはアラサーのユウコさんだ。「女性半額」という文字を見ただけで、なんとなく居心地が悪いそう。
「友人には神経質だと言われますが、性によって違いが生じることじたいに違和感があるんです。今は男女の区別さえなくしていこうという時代なのだから。女性半額といった場合の女性って、見た目のことなんでしょうか、それとも戸籍上の女性? なんてことまで考えてしまいますね」
映画の「女性割引デー」に違和感があった
確かにそこまで考えると、何を持って「女性」と申告するのかはむずかしい問題である。以前、行われていた映画のレディースデー(女性のみを対象にした割引)なども、ユウコさんには違和感があった。「女性だけが割引でラッキーとは思えないんです。そうやって割り引いてもらわないと女性は映画に行けないと考えられているのではないかと疑ってしまう。本来、男女の収入格差がなくれば、女性割引なんて必要ないはずだから」
かつてのそういう割引は、女性は能動的な行動をしないため、後押ししなければならないと思われていたためなのではないかと彼女は言う。割引なら外出して映画を観に来てくれる、割引ならランチを食べに来てくれる、というように。女性の社会進出がままならなかった時代ならいざしらず、90年代には女性なのにオヤジのような行動をとる「オヤジギャル」が流行した。そのころはすでに、女性たちは家の中にだけいる存在ではなかったはず。
何もかも「平等」にしようとすると、かえって不都合が生じるもの。「対等」を考えたら、一般的に男性より食べる量が少ないと思われる女性を割引にするのは、食べ放題においては当然のことなのではないだろうか。
>「せこいこと言うな」と40歳男性