「自分が正しい」と思い込む人が気を付けるべき言動
<目次>
「私は正しい」=「あなたは間違っている」と捉えられることも
「自分は正しい」と主張することで、間接的に「相手を否定する」ことになる場合があります。自分はAにした方がいいと思って、「A以外はあり得ない」なんて発言をしてしまうと、他のB、Cを選んだ人を批判することにもつながってしまいます。そういう人は、“自分の目線”しか持っていない(=視野が狭い)ことが多いのです。相手の立場で物事を見て発言するようにならないと、「生き方が違う人」とは亀裂が生じやすいもの。
例えば、「私は結婚してよかった。独身でいるなんて、考えられない」と、独身者がいる中で言ってしまうと、相手に「自分の生き方を否定された」と思われてしまう恐れがあります。そもそも自分にとっては結婚することが正解でも、相手にとって正解とは限りません。その人にとっては、独身で自由な環境の方が合っている場合もあるのです。
だから、思ったこと、言いたいことをただただ口に出してしまう人ほど、注意が必要。「誰に対して話すのか」「どんな価値観を持っている人に対して言うのか」という、“相手の立場にも立った目線”を持つことが大切なのです。
視野の広さによって「正しさ」は変わってくる
「正しさ」というのは、立場や環境によって変わってきます。例えば、仕事においても、一社員にとっての「正しさ」が、社長にとっては正しくない場合も。社員にとっては、上司の言われた通りに仕事をこなすことが正しいと思っていても、社長はもっと会社全体や今後のことも見ていて、「言われた通りのことだけではなく、もっと会社が発展するような提案やチャレンジをしてほしい」と考えているかもしれません。
さらに、社内では「利益を上げること」が正解でも、社会全体で見ると、その会社の業務が「地球の自然を壊すこと」につながってしまっている、なんてケースも。その場合、大きな視野で見たら、ただただ「正しい行いをしている」とは言い難いこともあるでしょう。
つまり、視野の広さによって「正しさ」は変わってきます。自分の勤めている会社なのか、社会なのか、日本なのか、世界なのか、宇宙なのかでも、随分、違ってくるのです。
だから、自分と相手が「どれくらいの広さの視野でものを見ているのか」によっても、「正しさ」にズレが生じます。
何か問題が起こったときには、まずは「相手がどれくらいの視野の広さをもっているのか」を考えることが大切。それを把握していないと、話し合っても平行線になってしまうことは多いでしょう。
プライベートで求める「完成度」は人それぞれ
「自分は正しい」と思っている人の中には、完璧主義者で自分にも人にも厳しい人もいます。仕事は、ギャランティ(給与)をもらってプロとして行うものなので、それなりの完成度を目指すことも大切。しかし、プライベートにおいても完璧主義者だと、周りの人を疲れさせてしまうことがあります。「完成度は高い方がいいに決まっているでしょ?」と思いがちですが、ケースバイケースです。
例えば、家庭でカレーを作るのに、本格派であることを求めすぎると、カレーは手軽な料理ではなくなってしまいます。部屋の清潔度も、人によって妥協するレベルは違います。「隅々まで床拭きができているような環境を好む人」もいれば、「ほこりがあっても、ゴミさえちゃんと捨てていればいいという人」もいます。そこに正解はありません。
完璧主義者であるほど、自分よりもゆるい人に対してイライラしがち。しかし、誰かと共に生きていきたいのであれば、妥協することも、時として大切です。
また、一緒に何か作業をしていることに対して、たとえ相手に落ち度があったとしても、相手を責めたり、相手だけのせいにばかりしたりしていると、嫌われます。「“上手にフォローできなかった自分”にも責任はある」と考えるようにならない限り、円満に人と何かを成し遂げることは難しいでしょう。
完璧な人などいないし、自分にもそれなりに落ち度はあるはずなので、自分にも周りの人に対しても、ある程度の寛容さをもつことは大切です。
「自分は正しい」と思いたがる人は、失敗を恐れている?
自分を「正しい」と思いたがる人は、逆を言えば、「自分が間違えていることを恐れている人」だとも言えます。そういう人は、自尊心が低いのです。だから、「失敗をしてしまう自分には価値がない(=受け止められない)」と思い、ミスを認められなくなってしまうことがあるのです。自分に厳しくなりすぎずに、「失敗してもOK。そんなことで自分の価値は下がらない」と言い聞かせることも大事。実際に、人間である限り、ミスはします。ただ、そんなときに、自分の非を認められなかったり、保身の行動をしたり、責任を人になすり付けたりするから、問題が大きくなることの方が多いのです。逆に、素直に反省し、謝罪し、改善していけば、それ以上の問題にならないケースは少なくありません。
誰もが、どんなときも正しくいなくてはいけないわけではないし、そもそも「正しさ」に正解があるわけではなく、ケースバイケース。ただし、自分が間違ってしまったときは、きちんと許してもらえるような誠意のある言動をとれる人でありたいものですね。