「家族って何だろう」と考え続けたきっかけ
「私が育った家庭は、両親がいつもいがみあっていました。大ゲンカをするというよりは冷たい空気が流れている感じ。そんな中で、私は自分が二人を和ませる役割をしなければいけないと思うようになって、勉強もスポーツも頑張っていた。運動会で活躍すると父が喜び、成績がいいと母が喜ぶ。そうすれば二人がいがみ合う理由が一つ減る。そんな感覚でした」ナオさん(41歳)は、知らず知らずのうちに家族をケアする役目を果たしていたのだろう。だが無理をしていたため、中学生になるころには疲れ果てていたという。だが両親は彼女の苦労に気づかなかった。
「あのころの自分を思うと、けなげだったと思います。親のことばかり考えていた。でも親がいがみあうと私自身が傷つくからなんですよ。結局、私自身も自分のためにそうしていたんでしょう」
「子どもは、親の人質なのかもしれない」
もう親のことは考えない。両親は自分たちの問題を自分で片づけるべきだとナオさんが悟ったのは20歳になってからだ。短大を出て就職したのを機に独立した。家を出て初めて、世間は自分が思っていたより広いと痛感したそうだ。「私は真っ先に自分のことを考えて生きていいんだと思えてうれしかった。と同時に、私が生まれ育ったあの家にどれだけ縛られていたかも分かりました。子どもって、親の人質なのかもしれない。家はたやすく牢獄になるんだと感じていましたね」
だから自分自身が結婚することは、なかなか考えられなかった。せっかく牢獄から出て自由の身になったのに、「家族」をもてば今度は自分が牢獄を作る側に回るからだ。それは耐えられなかった。
27歳の時、付き合っていた彼にプロポーズされたが、彼の実家に行ったときに「ここも牢獄だ」と感じた。仲のいい家族だったが、はたから見ると「自分の家とは違う種類の牢獄に過ぎない」と思ったのだ。仲がいいからこそ、何があっても知らん顔できず介入してしまう。それこそが「牢獄」だった。
結婚はしたくないし、できないだろうが、それでもいいとナオさんは思っていた。
>夫は、私の境遇や人生を理解してくれていたのではないのか