「両親はうまくいっている」と思っていた
「うちの両親はずっと共働きでした。私は2歳違いの妹と4歳違いの弟がいるんですが、きょうだい3人はいつも仲がよかった。家には母方の祖母がいたので、それほど寂しいとも思わなかった。ただ、学校行事には母が来ると思っていたら父が来たり、父が来るはずだったのに母が来たりということはありました。今思えば、二人で連絡をとりあってどちらかは必ず行こうと決めていたんでしょうね。スマホもなかったでしょうに、二人で頑張ったんだなあと思っていました」フミさん(36歳)は、そう過去を振り返る。彼女自身も6年前に結婚し、一児の母となったがやはり共働きを貫いている。働いている母親がかっこいいと思っていたし、忙しくても母は常に、自分たちときちんと向き合ってくれたと感じているからだ。
「母はすごかった。『あとで』と言わない人でした。私たちきょうだいが一気に話しかけても、ちゃんと順番に話を聞いてくれる。話を流されたとか、ちゃんと返事が返ってこなかったという記憶もない」
母が残業し、父が早く帰ってくるように
フミさんが10歳のころ、同居していた母方の祖母が急逝した。その後は父が料理を作ることが多くなった。両親は家事を分担し、それ以前よりさらに忙しそうだった。「父が少し働き方を変えたようでした。残業が減って早く帰ってくる日が増え、母の方が遅くなることが多くなった。二人は同じ会社だったから、いろいろ話し合ったんでしょうね」
両親はいつも仲がよかった。子どもが高校生になると、夫婦は二人でよく「デート」に出かけた。いつもバリバリ働いているであろう母が、唯一、甘えられるのが父なのではないかと大学生のころ、フミさんは感じていた。
子どもたちが成長し、妹も弟も独立したのが8年ほど前のこと。それでも二人は共働きを続け、60歳で定年になったあとも父は他社で、母は同じ会社で仕事を続けていた。
「私は結婚しましたが、妹は未婚のまま子どもを産み、弟は結婚して離婚しました。それぞれの人生、楽しんでよと母は何があっても笑っている。そんな母が好きでした」
>意外だった母からの電話の内容