1. 他の西武線とは接続していない孤立路線
西武多摩川線は、西武鉄道の一路線でありながら他の西武線とは接続していない孤立路線。元々は多摩鉄道という単独の鉄道会社だったものを西武鉄道が買収したので、このような孤立した路線となったようだ。しかし、西武鉄道の一員になったので、他の路線と共通の車両が使われてきた。 それゆえ、時々、大規模な車両点検を兼ねて車両の入れ替えを西武鉄道の車両工場で行っている。さて、車両をどのように移送するのだろうか?
実は、武蔵境駅には、西武多摩川線とJR中央線をつなぐ渡り線(連絡線)があるのだ。したがって、西武多摩川線の電車はJRの電気機関車に連結され、まずはJR八王子駅まで回送される。ここで、進行方向を逆にして(電気機関車を付け替え)、今度は中央線の上り線を進み、国立から武蔵野線への短絡線に入り、武蔵野線を北上、新秋津駅手前から西武池袋線への連絡線を回送列車牽引用の電車に牽引され所沢駅へ。さらに、小手指にある車両基地へと向かうのである。小手指から武蔵境へ向かう場合は、ほぼ逆のコースをたどる。この回送(甲種輸送)は年に4回ほど行われている。
2. 京王線との連絡
西武多摩川線は、京王線と交差している。しかし、交差地点に駅はないので、双方の路線の乗り換えははなはだ不便だ。一応、京王線の武蔵野台駅と西武多摩川線の白糸台駅が乗り換え駅になっていて、駅には案内地図が掲出されている。 道に迷わなければ数分でたどり着くことは可能だ。白糸台駅の出入口を京王線に近い方にも設置してくれれば、もう少し乗り換え時間は短縮されるのだが、今のところそのような計画はない。何とも不便な乗り換えだ。3. ワンマン運転
西武多摩川線の電車は、車掌が乗務していない「ワンマン電車」だ。もっとも、地方のローカル線やバスのように、運転士に料金を払うシステムにはなっていない。全駅に駅員がいるし、改札口にはICカード用の改札機が設置されているので、運転士が料金収受の作業を行うことはない。ドアもすべて開閉する。ただし、運転士が停止を確認してからドアを開閉するので、車掌が乗務している場合に比べると少し時間がかかる。西武多摩川線がのんびりした雰囲気に感じられる一因でもある。
4. 全線単線で12分間隔
西武多摩川線は全線単線。途中駅の新小金井と白糸台で上下の電車がすれ違う。早朝と深夜をのぞいて、きっちり12分間隔で運転される。平日と土休日の列車ダイヤが同じという、首都圏では珍しい路線だ。5. サイクルトレイン
自転車をそのまま車内に持ち込めるサイクルトレインは、地方の閑散路線ではかなり普及してきた。都内でも、千葉方面に向かうサイクリストのためのイベント列車「B.B.BASE」がJR両国駅から、西武池袋線では秩父へ向かう特定の電車でサイクルトレインが運行されているが、通常の定期列車でほぼ終日運行されているのは、この西武多摩川線だけである。ただし、平日は9時から17時までという時間制限がある(土休日は時間制限なし)ほか、沿線のイベントなどで混雑が予想され使用できない日があることは知っておこう。 また、自転車を持ち込める車両は武蔵境寄りの1号車のみ。車内では、ドア付近のポールに取り付けてあるオレンジ色のベルトを自転車に巻き付け、転倒を防ぐことがルールとなっている。
6. カラーバリエーションの多い車両
西武多摩川線で用いられている車両は新101系と呼ばれる4両編成の電車(長さ20メートル、3ドア車)で、1979年から1984年にかけて製造された。現在、この車両が走っているのは西武鉄道では多摩川線と狭山線のみ。外観の塗装は、赤電塗装(1960年から1970年代にかけて西武鉄道の電車に使用されていた塗装で、トニーベージュとラズベリーレッドに塗り分けられていた)2編成、黄色とベージュのツートンカラー(1970年以降、用いられていた)2編成、西武グループの伊豆箱根鉄道駿豆線カラー(青と白のツートンカラー)、西武グループの近江鉄道カラー(青色に白帯の「湖風号」カラー)の4種類6編成があり、このうち4編成が交互に多摩川線にやってきて運用についている。
ところで、西武鉄道では支線区間で活躍中の旧型車両を東急および小田急で余剰となった「サステナ車両」で置き換え、省エネルギー化を推進する計画だ。それにより、2025年以降、多摩川線の新100系は、東急9000系導入に伴い引退することとなろう。
7. 変更となった駅名
西武多摩川線の駅は武蔵境、新小金井、多磨、白糸台、競艇場前、是政の6つ。このうち、2001年に多磨墓地前駅は多磨に、北多磨駅は白糸台に変更となっている。多磨墓地前駅は多磨霊園の最寄り駅としての命名だったが、東京外国語大学の移転、近隣にできた病院利用者の増加にともない駅名変更の要望が寄せられ、駅名から墓地前を削除し、多磨(多摩ではないことに注意)になった。また、副駅名として「東京外大前」が付加された。こうなると、多磨駅の「南」に「北」多磨駅があるのは妙な話になる。それで、同時に北多磨駅は白糸台駅に改名された。
8. 近代的な駅とレトロな駅
多磨駅は学生の利用が増えたこともあり、近代的な駅舎に大改装された。橋上駅となり、自動改札機も設置された。 一方、新小金井駅と白糸台駅は、昔風の駅で、構内に跨線橋や地下道はない。その代わりにあるのが構内踏切だ。昭和の頃には、構内に踏切がある駅が多かったので、ある意味、レトロな造りである。また、自動改札機の代わりに、簡素なICカード読み取り機が設置されている。万一、不具合があっても出入りが遮断されることはない。9. 競艇場前駅
西武多摩川線のルーツは多摩川の砂利輸送である。そのために砂利採取場が当初の多摩川線の終点(競艇場前駅、当時は常久駅)に隣接してあった。しかし、砂利採取が振るわなくなり、採取場は廃止され、跡地は競艇場になった。競艇場駅は、かつては列車の行き違いができるように2面2線の構造だったが、利用者減もあり行き違いもほぼなくなった。それで、1面1線の駅に縮小、使われなくなったホームは競艇場のPRコーナーになっている。
10. 過去にあった延伸計画
当初は多摩川で採取された砂利輸送が目的で敷設された鉄道だったので、多摩川の手前が終点でも問題はなかった。しかし、砂利採取が禁止され、旅客輸送専業になると、このままでは鉄道としての発展は見込めない。そこで、高度成長期には路線の延伸が構想されるようになった。そのひとつが多摩ニュータウンへの延伸計画だった。巨大なニュータウンには鉄道1路線では不十分と思われ、京王、小田急とともに西武も手を挙げた。しかし、西武多摩川線を延伸すると、多摩ニュータウンからの利用者は武蔵境駅で中央線に乗り換える必要があり、中央線が大混雑でパンクすることは目に見えていた。そうした事情から多摩川線の多摩ニュータウン乗り入れは見送られたのである。 もう1つ、西武鉄道は、1949年に武蔵境から北上し、西武新宿線の東伏見あるいは武蔵関までの鉄道敷設免許を申請した。幻の延伸計画となったが、頓挫しなければ、今頃、多摩川線は孤立路線とならず、西武新宿線の支線となっていたかもしれない。
路線距離が短く、地元の利用者以外には縁がなさそうな西武多摩川線。しかし、野川付近にある広大な野川公園、武蔵野公園や多磨霊園、それに多摩川など自然の見どころが多々ある。都内在住なら、ふらりと訪れてみると思わぬ発見があるかもしれない。