地震災害にある「全ての事象」が能登半島で起きた
地震と同時に発生した津波は最も高いところで4.7メートルに達し、能登半島周辺の海岸を襲い、それによる家屋の被害は甚大でした。1995年に発生した阪神淡路大震災に匹敵する震度7の揺れを記録した石川県輪島市では大規模な火災も発生。さらに輪島市では、土砂災害による家屋の倒壊もあり、過去の歴史的な地震災害で起きた全ての事象がこの小さな地域で発生していたという「特異な地震災害」だったことが分かります。>震度別「ゆれ」や「体感」の違いを確認する
阪神淡路大震災以後の約30年。大きな災害発生後、取材のために筆者は常に1週間以内に現地に入るようにしていますが、今回は主要な道路の閉鎖による陸路の大渋滞が発生していることもあり、現地入りはなかなか果たせずにいました。
そして2月、能越自動車道がほぼ開通したとの報により準備を整えて現地に入りましたが、被災地の被害は想像を越えて悲惨な状況でした。報道だけでは伝わってこなかった被害の深刻さが分かり、阪神淡路大震災と東日本大震災の直後に現地入りした際の衝撃がフラッシュバックするものでした。
木造家屋が集中する輪島市は壊滅状態
最初に向かったのは大規模火災が発生した輪島市。能登半島を北上すると、金沢市内から数10キロメートルほど離れた場所から崩れた家屋が数多く目につき始め、輪島市の海岸に近づくにつれて家屋の倒壊率が一気に急上昇します。かつて多くの観光客で賑わった輪島朝市の街並みは、無残に崩れた家屋が数百メートルにわたって広がり、外壁が焼け落ちたビルの鉄筋だけが取り残されていて【画像2】、まさに阪神淡路大震災の中心部で見た光景に酷似していました。周辺では住人と思しき方々が焼け跡で探し物をしていました。立ち会っているのであろう他県の警察官たちとともに、この場所で亡くなられた方に黙って手を合わせてきました。
この地域は朝市の周辺家屋を中心に古い木造家屋が集中しています。数少ない鉄筋のビルの一つが横倒しになり、隣接する木造家屋を押しつぶすという事象も発生し、この地域の揺れの凄まじさを象徴するものとなっています。
また海岸付近の液状化による地割れや岸壁の破壊も凄まじく、復旧作業もまだ行われてはいないようでした。原状回復には大規模な工事が必要となるでしょう。
津波被害による家屋の倒壊が凄まじい珠洲市
その後、能登半島の東側に移動。津波被害が大きかった震源地に近い珠洲市内へと向かいました。途中の道路には無数の土砂崩れが発生しており、片側一車線による渋滞が何度も行く手を阻みます。数時間かけて津波到達地域に辿り着くと、海岸から近い道路脇を倒壊した木造家屋の瓦礫が延々と続くエリアが広範囲に広がっています。
こちらはまさに東日本大震災の宮城県や岩手県の海岸の景色そのもの。その壊滅的な様相は輪島市を大きく上回っています。流された家屋の一部や多くの車両が波に流されて、用水路の中に落ちたままになっていました。
これまで日本海側は「津波が起きにくい」または「津波被害は比較的小さい」と想定されていたために、津波への備えに対して今回の津波がそれを上回ったことで、被害が大きくなったのだとしたら残念なことだと感じました。
半島状の地形は特に避難が難しい
能登半島地震は過去の地震災害の被害の全ての様相がありました。それを引き起こしたのは、地震の大きな揺れに加えて、地理的な要因(海岸の近く、山あいの土地)と環境的な要因(耐震性の低い木造家屋が密集)が合わさったことが原因です。しかし、この二つは、日本全国どこにでもある、ありふれた地域の地理と環境が持つ要因でもあります。自然が身近な、日本の美しい環境はひとたび地震災害が発生すると逆に大きな被害を生む要因になります。特に半島状になった地域は避難が難しく、周辺からの支援が届きにくくなり、災害発生時に孤立するリスクがあります。以前から指摘されていたことですが、ここにきてより明確になりました。
現段階では地震予知というものは技術的に不可能ということは明らかであり、今回は、その揺れの大きさも想定していたものをはるかに上回りました。
今回は比較的人口の少ない海岸近くの地域で被害が発生しましたが、今後、首都圏や人口が集中する太平洋側で大地震が発生することが確実視されています。
まず「個人で備える」ところから
地震による被害発生は、もはややむを得ないことですが、より被害を小さくすることが急務となります。国や自治体はそれなりに進めてはいますが、果たして間に合うでしょうか。自宅家屋の安全性は確保できているのか、住んでいる地域でどんなことが発生するのか、避難場所はどこか、インフラ停止を踏まえて水、食料、電源などを確保できているのかを再確認し、個人で地震に備えるべきでしょう。