政府が推進する「貯蓄から投資へ」では日本は豊かにならない?
資本主義の最前線で活躍した田内さんが今、危機感を抱いている日本の問題について詳しく語りました。
「お金が増える=豊かになる」は間違い
――投資やリスキリングを通じて「お金を増やす」ことへの意識が高まっています。この状況をどのようにご覧になっていますか。田内学さん(以下、田内さん):資産運用は大事なことだと思います。ただ、日本全体として考えた時、私たちが抱えている問題は、ますます深刻化するでしょう。というのも、多くの人が「自分の生活がもっと豊かで便利になり、欲しいものが手に入るようになればいい」と思っています。そのために、株式や投資信託に投資したり、スキルアップして他の業務に就いたりします。しかし、既に用意されている仕事を選んで、その仕事をやり続け、ワンクリックで投資対象を選んでいる限りでは、世の中で作られるモノやサービスは変わらないのです。
モノやサービスの質や量が変わらないのに、「自分だけ多くのものを得よう」と思っても無理です。自分が「これがあったらいいのに」と思うものを作らなければなりません。
日本では「失われた30年」とよく言われますが、実際には数十年前と比べると私たちの暮らしは便利になっています。スマホで何でも情報を検索できるし、好きな音楽や動画を楽しむこともできます。でも、それらの技術やサービスの多くは海外で生み出されたものです。私たちはそれらを輸入し、依存度が高まっています。その結果、日本の貿易赤字が拡大する一因となっています。
「お金を増やさないと……」と考えて一人一人が資産運用に励み、仮にお金が増えたとしても、儲かる金額はたかが知れています。それに対して、海外からモノを買っている金額ははるかに大きい。新NISAなどの資産運用を始める前に、お金や社会の仕組みを学んで、自分のお金がどのように流れていくのか、何に使うべきなのかを考えたほうがよいでしょう。
お金との向き合い方を変えれば、社会は変わる
――最近では、金融教育に取り組む動きもありますが。田内さん:日本における金融教育は、多くの場合、投資教育になっています。その中で「投資」が意味するのは、「お金を出すから、お金を受け取った人は頑張って新しいものを生み出して」という他人任せのもの。投資をする人がどんなに増えても、新しいモノを作ろうとする人が日本に増えなければ、投資マネーは海外に出て行くだけです。いい給料だけもらって、貯めたお金を投資に回すことしか考えないようであれば、日本が抱える問題はさらに深刻化すると思います。
――現状を変えるには、どうしたらよいでしょうか。
田内さん:まず世の中にある問題は、お金で解決しているのではなく、お金を受け取った人が解決していることに気づく必要があります。お金で解決できる気がするのは、視野が狭くなっているから。視野を社会全体に広げると、お金の存在は消え、働いている人々の存在が浮かび上がります。未来の社会を担う子どもを社会全体で育てていかなければなりません。
以前、国会議員の勉強会に呼ばれて安倍元首相の前で少子化を食い止める必要性などをお話しする機会がありました。そこで感じたのは、政治家は権力を持っているように見えるけれど、有権者の思いを汲みながら政策を作っているということです。有権者である私たち一人一人がお金に対する考え方を変え、声を上げていかないといけないのです。
専門家の意見が的外れなことも
――田内さんがゴールドマン・サックスを辞めて金融教育家に転身されたのも、声を上げたいという思いがあったからでしょうか。田内さん:私が問題意識を持つきっかけとなったのは、2009年に始まったギリシャ危機の時に、テレビで専門家が「日本もこのままだと数年以内に財政破綻する」と発言しているのを目にしたことです。それを聞いて、「デタラメな意見だな」と。誰が働いているかという視点が完全に抜けていたんです。政府がお金を使うときに、国内の人たちがそのお金を受け取って働いている場合と、自分たちが働かずに海外の人たちに任せる場合では当然、結果は違うはずなんです。
一般的に経済は「難しいこと」だと思われているので、「誰の言っていることが正しそうか」で判断されてしまいがちです。でもメディアに出ている専門家の中には、専門用語を使って相手をごまかそうとしている人がいます。そういう専門家の話を聞いた政治家が政策を作ったり、人々の行動が流されたりすることに危うさを感じたんです。
そのような危機感が募るなか、誰もが経済に興味を持って、自分の考えを持てるようになればいいな……と思い、『お金のむこうに人がいる』という本を書きました。執筆にあたり、編集者の佐渡島庸平さんのもとで修行をするため、ゴールドマン・サックスを退職しました。
日本の金融教育の現状を懸念する田内学さん(本人提供)
リーマン・ショックで目の当たりにした市場の厳しさ
――ゴールドマン・サックスと言えば、トイレに行く時間さえも制限されているほど激務というイメージがありますが、実際の働き方はいかがでしたか。田内さん:長時間勤務や、場中(マーケットが開いている時間)にトイレに行けないことがクローズアップされることがありますが、それらは目的を達成するための手段に過ぎません。市場で自分の価値を高めるという目的が明確であれば、メールを速攻で返す必要があったり、プライベートな時間が犠牲になったりしても、苦に感じることはありません。
――ゴールドマン・サックスで生き残るための処世術はありますか?
田内さん:2008年にリーマン・ショックが起きた時、「稼げない部署は部署ごとなくなる」という事態を目の当たりにしました。それまでは、会社に属してさえいれば、給与がもらえるし、会社が自分を支えてくれていると思っていました。でも、会社を通して自分たちが社会に対して何かしらの価値を与えないと、お金はもらえないのだと気づいたのです。
「処世術」というのが、会社の中で生き残る術だとしたら、会社自体が沈んだ場合、そんな術を身につけていても全く意味がないですよね。日本では昔も今も、全くその通りのことが起きていると思うんです。多くの人にとって「会社に入ること」が目的になっています。でも、会社という箱を通して「市場にどのような価値をもたらすのか」が大事です。そうしない限り、会社も日本も生き残ることが難しい時代になっていると思います。
<取材・文/秋山志緒>
田内学さんの新刊『きみのお金は誰のため ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」』(東洋経済新報社)
金融教育家
1978年生まれ。東京大学工学部卒業。同大学大学院情報理工学系研究科修士課程修了。2003年ゴールドマン・サックス証券株式会社入社。以後16年間、日本国債、円金利デリバティブ、長期為替などのトレーディングに従事。日本銀行による金利指標改革にも携わる。2019年に退職してからは、作家エージェント会社コルクの佐渡島庸平氏のもとで修行し、執筆活動を始める。著書に『きみのお金は誰のため ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」 』(東洋経済新報社)、『お金のむこうに人がいる 』(ダイヤモンド社)などがある。お金の向こう研究所代表。社会的金融教育家として、学生・社会人向けにお金についての講演なども行う。
秋山 志緒
大阪府出身。外資系金融機関で広報業務に従事した後に、フリーのライター・編集者として独立。マネー分野を得意としながらも、ライフやエンタメなど幅広く執筆中。ファイナンシャルプランナー(AFP)。X(旧Twitter):@COstyle