「飽き性な人」の特徴とは?
せっかく趣味が見つかっても、すぐに飽きて続かない人はいます。どうしてそうなってしまうのでしょうか。そもそも「飽き性」は悪いことなのでしょうか?
<目次>
「飽き性な人」の特徴。なぜすぐに飽きてしまうのか
なぜ飽きてしまうのかというと、「そこまで好きでないこと」だからというのは大いにあるでしょう。興味を持って始めてみたけど、自分に合わなかったり、大して面白くなかったりするとやめたくなるのは誰にでもあることです。また「マンネリ化」が苦手な人もいます。何か新しいものを、自分や生活に取り入れることでワクワクすることは多いですが、だんだん慣れて新鮮味がなくなってしまうと、飽きてしまうことも。そうすると、また「新たなワクワクするもの」を求めたくなるのです。
「飽き性」は悪いことではないが「人に迷惑をかける飽き性」は嫌われる
「飽き性」がいいか悪いかは、ケースバイケース。ただ、「人に迷惑をかける飽き性」は嫌われます。例えば、大切な人と何かを一緒に成し遂げようと約束をしていたにも関わらず、自分だけが飽きてしまい、途中で抜けてしまうと相手に迷惑をかけてしまいます。また、何かに飽きたときに、「どうしたらそれをもっと楽しめるようになるのか」と考え工夫することなく、ただただ「受け身」でいる場合は、飽きてしまった“対象”の魅力がないことを理由に、手放してしまいます。
自分でアイデアを出して、もっと楽しめるように工夫する人は、どんどん“対象”に愛着を持つようになるので、たとえ趣味から始めたものでも、プロフェッショナルな能力を身につけていくことだってあります。
趣味をどんどん突き詰めていくと「努力」も必要になります。その辛さに耐えられない人は、表面的な部分を楽しむだけで飽きてしまい、中途半端な状態でやめてしまうことも多いでしょう。
「飽き性」は自分に正直。チャレンジ精神旺盛なのはいいところ
ただし、「飽き性」は必ずしも悪いとはいえません。飽き性な人は、自分に正直な人です。その対象を「もう好きではない」と感じてしまったら、今までどんなに時間と労力を費やしたのだとしても、きっぱりやめることができます。また、飽き性な人ほど、進化したいという欲望があります。同じところに留まらないで、新たなものをどんどん取り入れていこうとする側面も。マンネリや怠惰には耐えられないから、その環境から抜けようとする人だっているのです。
飽きようがないほど夢中になれることを見つけることが大切
個人的には「続ける」「続けない」の前に、努力を努力だと感じないくらい、“ただただ好きで思わずやってしまうようなこと”を見つけることが大切だと考えています。そうしたら、飽きようがないからです。どんどん自分の技術を磨きたい、進歩したいという欲が生まれ、マンネリなんてしていられないほど、「極めていきたい」という欲望が生まれてくることでしょう。
ただ、そういったものを見つけるためにも、色々なことにチャレンジし、自分に合わないものはダラダラ続けないで、捨てていった方がいいこともあります。そういう人は「飽き性」ではなく、「チャレンジ精神が旺盛」だといってもいいでしょう。
続けられるか分からないものは、1人で始めたほうがいい場合も
ただし前述したように、人と一緒にやると簡単にはやめられないケースもあります。本当に自分が続けられるかどうか分からないことに関しては、「抜けられやすさ」を考慮してから、始めたほうがいいでしょう。例えばバンドを始めた場合、自分が抜けてしまうことで、ほかのメンバーに迷惑をかけてしまうこともあります。また、友達と家賃折半で一緒に住んだのに、同居生活が飽きたからといって、さっさと引っ越ししようとすると、相手に迷惑がかかるでしょう。
せめて、自分がやめた後の「残された人のこと」も考えられるようになった方がいいです。やめる代わりに、相手にとってメリットのあることを提案できるくらいでいた方がモメないでしょう。
つまり、「飽き性」でもいいのですが、ある程度、自分の行動に責任をとれる人でいることは、大切なことなのです。飽きてしまい、これ以上続けることはできないときは、やめてしまっても構いません。ただし、人に迷惑をかける「飽き性」にならないよう、心がけたいものですね。