近所のお葬式でも目立って
極めつけだったのが、今年の春、ママ友仲間のお義母さんが亡くなったときのことだ。「そのお義母さんは、地域の役員もやっていて、子どもたちみんなをかわいがってくれていたんです。義母としてもさっぱり明るくてとってもいい人だったらしい。当事者のママ友さんもすっかり落ち込んでいた。私たちは数人でお通夜に行くことにしました」
行ってみると会場にはミナさんも来ていた。親類のように立ち働いていたという。葬儀社の会場なので、すべてやってくれるはずなのだが、なぜかミナさんはくるくると働く。
「ミナさんって、彼女とそんなに仲良かったっけとひそひそ声がしましたが、まあ、お通夜の席だしここは黙ってお焼香しましょう、と。お焼香して、当事者のママ友さんの顔を見たら、彼女が本当に憔悴していたんです。そばに行って声をかけたら泣き顔になって。その瞬間、ミナさんが突然、うおおと泣き崩れたんですよ。当事者の涙は引っ込んでしまったし、私たちもびっくりして」
いい人だったのに、どうして……とミナさんは棺にすがるようにして泣いた。いや、さっきからずっとここにいたのに、なぜ私たちが来たら号泣するんだろうとアキコさんたちは目が点になり、脳内にクエスチョンマークがいくつも浮かぶ状態。
「うおお」と泣き崩れた翌日もまた……
「翌日の葬儀のときはもっとすごかった。棺が霊柩車におさまるところで、ミナさんが前に出てきてまた号泣。親戚の人? なんていう声が漏れていました」あれじゃ、誰も悲しめない。悲しみの場をぶち壊したと誰もが思ったようだ。その後、ミナさんに会ったとき、「あなた、親戚なの?」とアキコさんは聞いてみた。
「『寂しいですよね、あの方がいなくなって。私は母と慕っていたんです』って、しれっと言ったんですよ。当事者に事前に、ミナさんとはそれほど親しくないと聞いていたのでびっくりしました」
ささいな嘘をつこうが、話を盛ろうがかまわない。だが、あの場で当事者より大げさに泣き崩れたら、当事者の悲しみは消されてしまう。悲しいときに泣けなかったことは、きっと後悔するに違いないとアキコさんは感じている。
「実は私の父の葬儀にも、似たような人がいたんです。そのせいで家族はまったく泣けなかった。泣くべきときに泣けないと、なんだか感情が整理できないんです。だからこそ、ミナさんにはよけいなことをしたと言いたかった。でも周りに人がいたし、ひとりを糾弾するようなことはしたくなかったから我慢したんですが」
それ以来、ミナさんが近づくとみんながさりげなく去っていくようになった。あなたの過剰反応が招いた結果なのだと、いつかアキコさんは伝えようと考えている。