人間関係

40歳過ぎの「こどおじ」が子ども部屋を出るとき。実家暮らしの兄から憑き物が落ちた出来事(2ページ目)

世話を焼いてくれる母とそれに甘え続けて実家暮らしを続けた兄。しかし、母が亡くなり父も地元に帰郷。独立せざるをえなくなった。母への依存から解放され自活するようになると、兄の様子に大きな変化が……

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

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母がいなくなって

コロナ禍直前の3年半ほど前、調子が悪いと病院を訪れた母はそのまま入院することになった。検査結果は膵臓がんで余命3カ月と告知されたという。

「私は母とは今ひとつ折り合いがよくなかったけど、それでもいきなりの余命3カ月には驚きました。兄は淡々としているように見えたけど、おそらく相当動揺していたはずです。父によれば、兄は毎日、母を見舞っていたそうです。私もたまに行きましたが、いつも兄は母の枕元に座っていた」

そして医師の告知通り母はほぼ3カ月で還らぬ人となった。その直後、70歳となった父は空き家となっていた自身の実家で暮らすことにすると言った。都内の自宅から2時間ほどの距離だ。兄は実家にひとり取り残されたのだが、父は「その家は売るから」と宣言した。

「もともと借地ですし、建物だって築40年もたっていたから二束三文でしたが、それでも父はすべて整理したかったんでしょう。兄は戸惑っていたみたいだけど、父名義の家ですから文句も言えない。父に引っ越し費用だけもらってアパートへ移ったようです」

ホナミさんは時折、父と連絡をとっていた。父は半世紀ぶりに実家に戻り、子ども時代の友人たちと仲良くやっているらしい。昨年、ホナミさんは久しぶりに父を訪ねた。

「なんとびっくり、兄も来ていたんです。2年ぶりに顔を見ましたが、あれ、こんな顔だっけと思うほど変わっていました。相変わらずアルバイト生活だけど、今の職場は居心地がいいんだと笑っているんです。あんな明るい兄の顔を見たのは久々。憑きものが落ちたというか、すっきりした表情でした」

地元の食材を使った父の料理も、生まれて初めて口にした。母がいるころ、父はキッチンには入らなかったからだ。

「私はそうでもなかったけど、父と兄は母がいたから家族はひとつみたいな気持ちになっていたんでしょう。母がいなくなって物理的には家族バラバラになったけど、それはみんなが自立しただけかもしれない。言い換えれば母がいたから兄も父も、ひとりの人間として暮らしていけなかった。もちろん母が悪いわけではないけど、なんだか不思議な感覚です」

以来、ときおり連絡をとりつつ、家族はそれぞれの場所で自分の暮らしを楽しんでいる。母から脱皮したように見える兄だが、そのうち自分を頼ってくるのではないかとホナミさんは最初のうち戦々恐々としていた。ところが兄は兄で何とか家事もこなしているらしい。

「もっと早く、母が兄を自立させていればよかったのにと思うものの、兄には兄のタイミングがあったのだからこれでよかったとしようと感じています。人生は自分のものだから、それぞれが自力でなんとかしていくしかないんですよね」

ホナミさんも、今のところは一安心と笑顔になった。
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