家事放棄を宣言
「長い間、私は『私だけが損をしている、私だけが大変だ』と思っていました。実際、そうだったと思います」サツキさん(43歳)は高校時代の同級生と25歳のときに結婚した。彼は家業を継いでいたので、新居は彼の実家近く。
「私は美容師として働いていたんですが、結婚して彼の家業を手伝うことになりました。美容師を辞めたくないと言ったのに、『それはまた生活が落ち着いてから』と彼の両親と彼に言いくるめられてしまって。結局、その後、3人の子を産んで美容師どころではなくなりました」
32歳で第3子を産み、ますます忙しくなったサツキさん。それでも家業の手伝いはやめられず、あげくに義父が倒れて、夫の実家は大騒動となった。
「実家には夫の祖母、両親、弟がふたりいて、住み込みの従業員もふたりいました。小さな会社ですから通ってくる従業員にとっても、義父が倒れたことは大きなできごとで。夫はまだ社長としては頼りない。義母はあたふたするばかり。とにかく仕事は夫に任せるしかなかったけど、従業員や家族のめんどうは私が見るしかなくなりました」
朝早く、上の子ふたりを保育園に預け、下の子を抱いて実家に直行、家族の昼食や夕食の支度、洗濯、掃除などの家事をすべて担った。義母は義父の入院先へ見舞いに行く程度で、昼間は近所の人とカラオケに行ったりもしていたという。
「腹立たしかったですよ。だけど夫も四苦八苦しているし、私が不満を言ってもしかたがない。そうやってなんとか乗り切りました。夫はその間、がんばって社長としての帝王学も身につけていったようですね。義父は元気になりましたが、そのまま夫に全権を譲りました」
ようやく自分の家族を優先できると思ったサツキさんだが、その後も夫の実家での夕飯の下準備などは続いたという。
「長男の嫁だから、次期社長夫人だからと周りに言われて無碍にもできなくて。でも3人の子を優先させたいという思いは強くなっていきました」
結局、5年前に夫の実家をリフォーム。従業員は近くのアパートに住むことになり、義父母とサツキさん一家の7人暮らしが始まった。
1年前の「反乱」で家族に起こった変化
同居した途端、義父が再度倒れた。義母も足が痛いと言ってあまり動けない。家を出ていった弟たちは知らん顔だ。彼女にかかる負担は増えていった。「義父母の介護、子どもたちの学校のことや、さらには会社のこと。社員の相談などにも乗っていたので、気が休まる暇がありませんでした」
自分ではいつでも精一杯やっているつもりだったが、振り返ると「もっとこうしておけばよかった」の繰り返し。サツキさんは責任感が強く、自分ですべて背負い込んでしまうタイプなのだろう。
背負った荷物はどんどん重くなっていったと彼女は言う。さらに昨年、夫の浮気が発覚。サツキさんはとうとうブチ切れた。
「もう家事なんてやらないって叫んでしまいました。いちばん下の子は10歳になりますが、着ていく洋服さえ自分で決められなくて『ママー』と言うくらいですから。落ち着いて考えれば、そういうふうに育ててしまったのは私なんですけど。でもあのときはもう、何もかもが嫌になってしまった。義母も私の剣幕に驚いていましたから」
翌日から、サツキさんは本当に家事をやめた。朝、家を出て近所の美容院に職を求め、アルバイトで雇ってもらえることになった。昼食は喫茶店でランチをとり、そのまま映画を観に行って夜遅くに帰宅した。
「家の中がしーんとしていました。どうやら店屋物をとったみたい。翌朝、私は今日から美容院で働きますと宣言して出勤しました。その日の夜、夫が『話し合おう』と言ってきたけど無視。子どもたちも戦々恐々としていたので、子どもにだけは『もうちょっと我慢してね』と告げました」
1週間ほどたったが、家の中がそれほど汚くなっているわけでもないし、誰かが洗濯はしているようだ。夕食はどうやら義母と夫が子どもたちを巻き込んで作っているらしい。
その後、やっと夫が家族を集めた。
「自分で家の中のことをしてみて、ママが大変だったことはよくわかった。だから、これからは家事をちゃんと分担しよう。ママが外で働きたいなら、それを認めた上で、じゃあ、みんなどうしたらいいか考えていこう」
夫はそう言って、それでいいかとサツキさんを見た。そんなふうに夫が変わってくれるとは思わなかったので、サツキさんは心揺さぶられてしまったという。
「やっぱりいい。全部私がやるからと言いそうになったけど、それでは元に戻ってしまう。夫や義父母が変わってくれるチャンスなら、きちんと見届けたいと思いました」
そのころ夫のすぐ下の弟が会社を辞めて、実家に舞い戻っていた。それもあって、今後は弟も含め、家事を分担していこうと夫は話を進めていく。
「私も分担するからと言いました。何もかもひとりで背負っていてつらかったけど、こうやって話し合いの場をもうけてくれたことがうれしい。子どもたちにはあまり負担をかけたくない。家事を手伝うのはいいけど、子どもには今しかできないこともあるはずだから。言っているうちに泣けてきました。義母が『私も老化防止に動くから』と言ってくれた」
報われないと思いながら必死にがんばってきたが、ついにキレたとき、家族は考えを改めてくれた。もうこれでよしとしようと彼女は思ったのだという。
「私が家事を放棄しても、実は誰もたいして困らない。私がひとりで背負った気になっていたところもあると反省しました。義母に『ごめんね』と言われたのがうれしかった。初めてここにいる人はみんな家族だと思うことができました」
雨降って地固まる。まさにサツキさんはそう実感した。これからはがんばりすぎず、「何でも適当に、ときどき手を抜いて」やっていくつもりだと笑顔を見せた。