二回り差が頼もしく思えたのに
結婚したのはハルナさん(45歳)が23歳のとき。夫は47歳。ちょうど二回りの年の差があった。「短大を出て就職した会社で、彼が上司だったんです。バツイチで子どもなしというのは聞いていました。ときどき『ひとり暮らしもこの年になるとしんどいんだよなあ』と冗談交じりに言っていた。他人に気を遣わせまいとするから自虐的なジョークもさらりと言う。素敵な人だなと思いました」
彼女が生まれてすぐ、父が亡くなったため、彼女は父親の記憶がない。こんな人がお父さんだったら自分はどういう子ども時代を送っていただろうと想像したりもした。
「彼は仕事には妥協を許さない人でしたが、仕事に意欲をもつ部下にはとことん優しかったので、みんなのびのびと仕事をしていた。入社して1年目の私にも『やりたいことがあったら、どんどん言って。どうしたらきみのアイデアを活かせるかをみんなで話し合おう』と言ってくれて。あるとき、『こんなプランはどうですか』と企画を提出したら、おもしろいと乗ってくれたんです。かなりいろいろ修正もしましたが、その企画は商品として実現されました。1年目だろうが10年目だろうが関係ない、おもしろいプランはどんどん採用してくれる。仕事を通してだんだん彼が身近になっていったんです」
ときどき、ひとり者同士だから、食事でもしていくかと誘われることもあった。数人で行くこともあればふたりきりのこともあった。
「男を感じたことはありませんでした。あくまでも上司と部下。そして父親を想像させる人。そこ止まりだったんですけどね」
様子が変わったのは、入社して1年半がたったころだ。
彼の涙に心惹かれて
あるとき一緒に食事に行くと、彼が珍しく酔った。「お酒は強いし、だからといって飲み過ぎることもなかったから、酔ったのを初めて見ました。そして彼は『離婚した妻が亡くなったんだ』とぽつりともらして涙をこぼしたんです。それを見て強烈な嫉妬を覚えました。妻は離婚してもなお、彼に愛されていたのか、と」
そこから彼女の彼を見る目が変わり、関係も変わった。彼女からアプローチを重ねて、ついに恋人関係になったのだ。
「どうしたいと彼に聞かれて結婚したいと言いました。『オレがきみの父親だったら、結婚はさせない。年が違いすぎる』と彼は何度も言ったけど、私は結婚したいと言い続けたんです。私の母が彼と同い年なんですよ……。だから母にも大反対されました。それでも私は彼しか考えられなかった」
彼も母も説得し、結婚して22年。ハルナさんも子どもをもつことはなかった。彼にも自分にも身体的に問題はなかったのに、なぜか恵まれなかったのだ。それでも彼女は結婚後、退職して念願だった4年制大学に編入し、大学院まで行った。
「好きな勉強を重ねて、それを生かして再就職しました。仕事も楽しいし、彼と猫と3人の生活も楽しかった。ただ、彼は60歳で1度、定年になり、それから嘱託として5年勤めたあと会社を辞めたんですが、それからあまり外に出なくなってしまって」
明るくて社交的な人だったのに、仕事をしなくなってから人とのつきあいも極端に減った。考えてみたら、彼の友人関係は仕事ベースで、学生時代の友人たちとはほとんど接点がなくなっていたのだ。
「退職後、スポーツジムに通っていたんですが、どうやらそこでトラブルがあったみたいです。彼は正義感が強いんですが、ときとしてそれは他人から見ると『うっとうしい』んだと思う。会社員時代と同じように妙な正義感からよけいなことをしてしまったようで、ジムにも行きづらくなったみたい」
彼女は45歳。外ではまだまだ「現役の女性」だと自分でも思っているし、周りの目からもそう感じている。夫は69歳。このところ、少し背中が丸くなってきている。急に彼の息が臭いと感じるようになった。白髪が枕に落ちているのを見て寒気がしたことがある。自分だって白髪が増えてきているのに。
「もしかしたら、年をとっていく夫を容認できないのかもしれません。夫と同い年の私の母はまだまだ元気で、仕事もしながら友だちと遊び、美容院に行ってきれいにしている。つい夫と比べてしまうんですよね。男女の違いはあるかもしれないけど、少なくとも夫には生き生きとした、意欲的なエネルギーはない。それがイラッとするんですよね」
このまま介護生活に突入するようなことがあったら、私は夫のめんどうを見ることができるだろうか。そう思うと、答えはノーなのだと彼女は言った。
「健康だから、元気だから好きで、病んだら嫌というわけではないんです。ただ、彼のいろいろな意欲が低下していくのが耐えられない。年とるのはしかたがないけど、まったくそこに抗わずに淡々とすべての力を手放していく感じが許せないというか。もうじき古希なんだから労ってあげなよと友人には言われるんです。年の差がわかっていて結婚したんだから、と。それはそうだけど……。いくつになっても、たとえ体が弱っても気力をなくしてほしくないんです。それは贅沢なんでしょうか」
さまざまな「老い方」がある。年齢に抗うも抗わないも個人の選択ではある。だが、ふたりきりの生活において、片方が意欲をなくしていくのを認めたくない気持ちもわかる。ハルナさんは、さまざまな講座やイベントを彼に提示してきた。だが彼がそれらに興味を示すことはない。
「今となっては、もともと年齢差以外の問題もあったのかもしれないと思ってしまう。さらに年齢差が広がったような気持ちなんです。このまま彼だけが老いていくのを、私は見ていることしかできないのかと思うとつらくて。自分の心の狭さがうらめしい」
相手がどう変わっても受け入れるのか、生き方を修正させるのか、あるいは見て見ぬふりをしながら自分は自分の人生を歩み続けるのか。ハルナさんは今、岐路に立たされている。