団塊ジュニアももう40代後半。失われた30年を一身に背負ってきた世代だ。
一度つまずくとやり直せない
「うちは夫と私、10代の娘の3人暮らし。結婚したのは私が30歳のときです。当時、夫は一応名前の知られた企業の正社員でした。私も正社員だったけど、出産を機に退職。これがつまずきの始まりでした」ミホさん(48歳)はつぶやくようにそう語り始めた。
娘が小学校に上がるころ、夫が社内の人間関係に悩んでメンタルを病んだ。半年間、休職したが戻れない。会社から自主退職を勧められた。
「当時、お金がなかったので少しでも退職金が手に入ればと退職したんです。それからさらに半年ほどたって、夫はようやく働けるようになったけど、そのときにはもう仕事がなかった。夫が40代になったころです。それからは非正規の仕事を続けている状態。エンジニアとか特別なスキルがあればいいけど、夫はもともと事務職でしたし、私もそう。私はスーパーなどでの実食販売でいくらか稼げましたが、それもこのコロナ禍でできなくなってしまった」
以来、ずっと「貧乏暮らし」だという。公営住宅に住み、食費を気にして好きなものも食べられない。外食など何年もしていない。お米だけは夫の親戚が送ってくれる。それがなかったら飢え死にしそうだとミホさんは言う。
「娘は本当は大学に行きたかったんだと思うけど、あきらめて専門学校に通っています。国家資格をとって『食いっぱぐれのない仕事をする』と。娘の職業選択が、そういう理由だというのは親としてせつない」
幼稚園のころ、小学生になったらバレエを習うと娘は決めていた。ところがその夢も叶えてやれなかった。だが、夫も好きでメンタルを病んだわけではない。それがわかっているから、彼女は夫を責められない。
親の遺産を受け継ぐ友人
最近、高校時代からの友人の父親が亡くなった。「よく遊びに行っていたから、私もかわいがってもらったんです。お線香をあげにいきました。しばらくたってから、その友人と話したら、『父が亡くなったのは寂しいけど、実は遺産が入ったの。これで少し生活に余裕ができたわ』って。そうか、そういうこともあるのねと納得しましたが、親の遺産がその後の私たち世代の人生を決めるところがあるかもしれませんね」
ミホさんの実家には、まったくといっていいくらい資産がない。両親は健在だが、万が一のことがあってもミホさんには形見分け程度しかこないだろうと彼女は言う。
「夫の実家も同様ですね。お義父さんが事業を立ち上げて失敗して、そのまま病気で亡くなり、夫は相続放棄して借金を背負わずにすんだというくらいですから。むしろ、今後、義母のめんどうを誰がどうやって見るのかと、夫のきょうだいは話し合っているくらい」
お金に縁のない家は、代々、縁がないのかもしれない。「ごく普通」に暮らしていければいいだけなのに、どうしてこれほど苦しいのかとミホさんは涙ぐんだ。
「私は最低賃金のパートを掛け持ちしています。夫もがんばって、つい最近、ある国家資格をとったんです。需要のある資格らしいので、これから少しは収入があがるかもしれない。あとは夫婦ふたりとも、いつまで健康でいられるかですよね」
餓死するほどではない、だが贅沢はできない。デパートで高級宝飾品が売れているなどと聞くと、「どこの世界の物語なんだろう」と不思議に思うとミホさんは言った。
「せめて娘の未来が、今よりよくなるようにと祈るしかありません。個人的にはあのまま会社勤めを辞めなければよかったと激しく後悔しています。私ひとりでも正社員だったら、今より少しはいい生活ができていたと思うから」
お金がすべてではないが、お金がなければ生活できない。日本国憲法第二十五条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるのだが、果たしてそれは守られているのだろうか。