亀山早苗の恋愛コラム

「離婚は私の勲章」と胸を張る57歳。育児は母親の、家事は妻の仕事と考える夫に“使われた”半生

「それは母親の仕事でしょ。そんなことでへこたれていたら強い母親にはなれないよ」と平然と言い放つような夫だった。激烈なワンオペに耐えながら30代で離婚を決意し、子どもが巣立つその日を待って離婚届を突きつけた彼女を夫は“ぽかんとした顔”で見たという。50代で彼女が得た解放感とは……

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

恋愛ガイド

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出産するたび、夫の「無理解」に苦しめられる妻は多い。出産前後のつらさを体感としてわからなくてもしかたがないが、理解しよう、寄り添おう、助けようという気持ちのなさに妻は悲しくなるのだ。

そんな経験を経て、「いつか離婚してやる」と思う女性は多い。そして実際に子どもたちが成長し、「離婚は私の勲章」と胸を張っている女性がいる。
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難産からの帝王切開、激烈なワンオペのはじまり

サユリさん(57歳)が結婚したのは28歳のとき。相手は同じ会社の4歳年上の先輩だった。

「会社では誰にでも愛想がよくて仕事もできる人でした。つきあってからも嫌な思いをしたことはなかったけど、結婚したら地が出てきましたね。かなりの自己中だったんです」

妊娠がわかって産休と同時に退職したのも、夫の意向だった。彼女自身は育休をとって復帰したかったのだが、「会社に損害を与える。オレの出世に響く」と言われたのだ。

「なんだかなあと思いながらも、子どもが1歳くらいになったら再就職することを念頭に出産に臨みました。ところがこれが難産で、丸2日以上苦しんだあげく緊急帝王切開。なんとか無事に生まれてくれたけど、私はボロボロでした」

立ち会い出産を「怖くて無理」と拒否した夫は、生まれたと連絡を受けてからやって来た。助産師から大変だったと聞いても「そうですか」とどこか他人事。数日後には「まだ退院できないの?」と言い出す始末。

「普通は5日ほどで退院できるはずだというけど、私は結局、異常分娩だったので9日間、入院しました。やっと子どもと一緒に退院した日、夫は重要な会議があると言ってこなかったので、ひとりでタクシーで帰宅。それだけでどっと疲れました。友人が駆けつけてくれてあれこれめんどうを見てくれたのが本当にありがたかった」

帰宅した夫は、寝ているサユリさんを見て「あれ、ご飯は?」と言ったのだそう。友人がお寿司や惣菜を買ってきてくれたので、それを食べてと言ったら「出来合いはうんざりなんだよな」と一言。

「せめて味噌汁くらい作ってくれないかなと言われ、よろよろ起き上がりました。本当に情けなかった。今思い出しても涙が出ます」

その3年後、ふたりめも帝王切開となった。3歳と新生児を抱えて、サユリさんのワンオペは激烈となった。
 

認識がおかしい

夫は「子どもは母親が育てるもの」と頑なに思っていたようだ。

「ミルクをあげてほしいと頼んでも、『それは母親の仕事でしょ。そんなことでへこたれていたら、強い母親にはなれないよ』って。『代わりにオレが皿を洗っておいてあげるから』と恩を着せる。夫は授乳もおむつ替えもしたことがないと思いますね。やってと言うと、代わりに風呂掃除しておいたからと代替行為を強調するんだけど、夫の風呂掃除はお湯を抜いてシャワーで洗い流してお湯を貯めるだけ。掃除になってない」

結局、サユリさんがやり直すしかない。暴力をふるったりはしなかったが、夫の育児への無関心はかなりひどかったと彼女は言う。

「子どもとちゃんと接するようになったのは、3歳を過ぎてから。それでもせいぜい会話する程度ですよ。出先でトイレに連れていくとか、のどが渇いた子に飲み物を与えるとか、そういう“世話”はほぼしていません。だけど夫はちゃんと子育てしたかのように周囲には言うわけです。それも腹立たしかった。下の子が3歳になったとき、実は私、また妊娠したんです。3人目はほしくなかった、もう限界だと思った。だけど中絶するのも怖くて……。そうしたら流産しました。私の気持ちを察して生まれてこなかったのかなとひとりで号泣しました。このことは夫には話していません。夫に話したくないと思ったとき、絶対にいつか離婚しようと決めたんです」

心を打ち明けられない夫と、老後をともに過ごす選択肢はないと30代で決めたのだ。それからは「夫は子どもたちの学費のために必要な人」と割り切った。彼女自身は35歳で再就職し、以来、必死に働き、子どもにも向き合ってきた。

「下の子が大学を卒業したのが2年前。卒業式のその日、夫に離婚届を突きつけました。それは夫の定年退職日の前日だった。正直言って、夫のぽかんとした顔を見たとき、気持ちがよかった。20数年越しの夢の第一歩だったんですから(笑)」

当然、夫は「どうして?」を繰り返した。そうやって理由がわからないところに、すべての理由があるとサユリさんは言い放った。

「夫は定年後も嘱託として働く予定でしたが、私は退職金を半分もらって別れるつもりだった。子どもたちが応援してくれて、すでに住む場所も決めていたので、翌日、引っ越しました」

上の子の知人である弁護士がきちんと間に入ってくれて、半年後に離婚が成立。退職金の半分と預貯金の半分を手にしたとき、サユリさんは「解放された」と感じたという。

「30代から共働きになっても、夫はゴミ出しと例の掃除しない風呂掃除以外は家事はまったくしてくれなかった。それどころか毎朝、私はお弁当を作って持たせていたんですよ。よく自分が倒れなかったと思う。弁護士にそう伝えてもらったんですが、夫は『だってそれが妻の仕事でしょ』と言ったそうです。離婚すると決めてよかったと心から思いました」

あれから2年。彼女は仕事をしながら、ときに子どもたちと食事をしたり、学生時代の友人と、好きなジャズを聴きに行ったり、自由きままに暮らしている。30年ぶりに自由を手にして、今の生活をつくづくありがたいと思うそうだ。

「子どもたちはときどき夫と連絡をとっているようですが、いつも愚痴ばかりだ、と。かわいそうだという気持ちはありますが、あのままだったら老後まで夫に使われる身だったと思う。夫の親戚からは冷たい女だと非難されていますが、離婚したのだから親戚も関係ない。そう割り切らないと残りの人生、楽しめません。自分のための人生だもの」

サユリさんの軽やかな笑顔から、本当に解放感を満喫していることが伝わってきた。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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