実の母娘の関係は意外とやっかいだ。仲良し母娘と周囲に思われているからこそ、なかなか離れられない、共依存的な関係になっている場合もある。長い時間をかけて、そこから脱出しようともがき続けた女性に話を聞いた。
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依存しながら支配してくる母親

「子どもの頃から母との関係が重荷でした。私は兄と弟にはさまれたひとり娘だからか、母は異常に私に執着していた」

そう話すのはミユキさん(37歳)だ。母は23歳のときにお見合いで結婚。24歳で長男、26歳でミユキさんを、29歳で次男を産んだ。

「父は適当に外で遊んでいたようで、母はいつも私を抱きしめては『あなたは男なんか信用しちゃだめよ』と言っていました。兄と弟はほぼ放任状態。母は男嫌いになっていたのかもしれません」

兄は遠方の大学へ進学。ミユキさんも関西方面の大学受験を視野に入れたが、母は「あなたが関西に行くなら私は死ぬ」と言いだして3日ほど寝込んだ。父親に相談しても「おかあさんのことはミユキに任せるよ。オレの手には負えない」と投げやりだった。

「しかたなく実家から通える都内の大学に進学しました。弟は高校を出ると専門学校へ行き、彼女と同棲して帰ってこなくなった。20歳で私はひとりっ子みたいになり、父も帰宅が遅いので、母の関心と依存は私に向けるしかなかったんです」

大学生なのに門限は18時。もちろん守りはしなかったが、18時を過ぎると母はよく駅で待っていた。それが苦痛で早めに帰るしかなかったという。アルバイトも禁止、20歳を過ぎても友だちとの飲み会にも出られなかった。

「帰宅後は部屋に閉じこもりました。そうすると母は私の部屋の前でずっとしゃべり続けるんです。めんどうだからリビングに行くと、ものすごく喜んで、私の好きな料理を作ったり、やたらと洋服を買ってきて着せたり。大学を出たら好きに暮らそうとひたすら我慢しました」

就職は関西に本社がある企業を選んだが、勤務地は東京だった。それでもいずれは転勤があるかもしれないと望みをつないだ。
 

ある日、私は母に手を上げた

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社会人になれば、残業もあるしつきあいもある。彼女は母に「今後は学生時代のようなわけにはいかないから。認めないなら家を出る」と宣言した。母はめそめそ泣いていた。

「仕事が終わって会社を出ると、母が立っていることがあって、ひっくり返りそうになるほど驚きました。『私を陥れたいのか』と怒鳴ったこともあります。だけど母が泣くとかわいそうだと思ってしまう自分もいる。葛藤していましたね」

あるとき、社内の男性からデートに誘われた。特に恋心を抱いていたわけでないが、母から離れたい一心で誘いを受けた。

「土曜日だったかな、出かけようとしたら『どこに行くの』『誰と会うの』とうるさく言うんです。返事もせずに無視して出かけようとしたら『行かないで』と泣き出した。それを見たら私の中で何かがキレたんですよ。母親をめちゃくちゃに叩いて出かけました」

帰宅すると母の顔が腫れていた。それを見てミユキさんはさらにキレた。それからは母とは目を合わせないようにして生活するようになった。目を合わせたらまた暴力を振るってしまいそうな自分が怖かったのだ。自分が爆発しないよう、なるべく帰宅を遅くし、ビクビクしながら数年を過ごした。それでも母は常に彼女に話しかけ、ときには部屋の前に新しい洋服が置かれていることもあった。彼女はいっさい手をつけなかった。

「私が27歳くらいのとき、父が病気になったんです。母は体面上、父の世話を焼くしかない。それで私から少し目が逸れた。ことを起こすなら今だと思い、当時、つきあい始めたばかりの2歳年下の彼の家に転がり込んだんです」

彼女がたまたま入ったバーでバーテンダー見習いとして働いていたのが彼。顔なじみになって言葉を交わすうちに親しくなった。閉店まで飲んでぐでんぐでんになったとき、彼は彼女を自宅に連れて行ってくれた。

「そのときは男女の関係はなく、翌朝、始発で家に帰って着替えて出社しました。その晩、お礼に店に寄ったら『今度、映画でも行きませんか』と彼の電話番号が書かれたメモを渡されて。ふたりで会うようになってすぐ、『この部屋に住みたいなあ』と言ったらいいよと言われて。速攻で荷物をまとめて彼の家に越しました」

母親が大騒ぎしたのは言うまでもない。だが父は入院しているし、母も身動きがとれなかったから、さすがに追ってはこなかった。

「彼とは1年くらいはうまくいってたんですけど、もともと時間的にすれ違いが多いし、彼は浮気が激しくて。それでも行くところがないから我慢していましたが、ある日、彼に殴られたんです。『おまえの顔を見ているとイライラする』と言われて、ああ、過去、私が母に感じたような苛立ちを覚えているんだと思ったら、もうそこにはいられなかった」

友人の家に行ったり、見知らぬ男の家に泊めてもらったりもした。そんな彼女の荒れた生活は嫌でも仕事に影響する。

「上司から呼ばれて、『最近、仕事のパフォーマンスが落ちてないか』と言われました。何もかも吐き出したくなって、いろいろ打ち明けてしまったんです。上司は会社にかけあって、地方出身者向けの会社の借り上げマンションを適用してくれました。地方出身だったら家賃は2万なんですが、私は5万でどうかと言われて飛びつきました。30歳を過ぎてようやく自立できたんです」

母には住所も知らせなかった。ところが引っ越してすぐ父が急逝。母と数年ぶりに顔を合わせた。

「母があまりにもやつれていてびっくりしました。親戚は『帰ってきて一緒に住んであげなさい』と言うし、久々に会った兄や弟もそれがいいって。母が捨てられた子犬みたいな目で私を見るんですよ。また体の奥からイライラが募っていくのがわかった。お葬式が終わるとすぐ私は帰りました」

母から電話があっても出なかった。3年後、近所の人から連絡があり、母が救急搬送されたことを知った。

「それでも私、病院に行かなかったんですよ。自分の中の母への恨み辛みをどうにも整理ができなくて」

母は体に重症のマヒが残り、ひとりでは生活できなくなっていた。兄弟と相談し、母を施設へ預けた。

「意識はしっかりしているのでかわいそうでしたが、私と暮らすほうがもっとかわいそうなことになるのは目に見えている。だから預けたんです。実家も処分しました。弟がなぜか母への思いを強くしたようで、コロナ禍前はときどき会いに行っていたみたい。ただ、私のことだけは口にしないそうです」

母にも自分への恨みがあるのかもしれない。いつかはきちんと対決したいと思っていたが、この状況ではもうむずかしいかもしれない。

「このまま母が死んだら一生後悔するだろうとわかってはいるんです。でも会えない、顔を見るのが怖い」

月に1回程度なら面会も可能なのだが、彼女はその権利をいつも弟に譲っている。一緒に行こうと言われてもどうしても行くことができない。

「母がいなくなる前に会う気持ちになれるのか。自分のことなのに見通しがつかない。いつも心の奥に鉛がたまっているような気持ちです」

ミユキさんはそう言って深い深いため息をついた。
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