亀山早苗の恋愛コラム

依存体質だった「母の血」が怖い…恋愛の仕方がわからない40歳の私

母親の生き方は多かれ少なかれ娘に影響を与えるものだ。「母のように生きたい」か、「母のようには生きたくない」か、それは母娘の関係、それぞれの性格や価値観の違いによる。母を反面教師として、ひとりすがすがしく生きてきた女性に話を聞いた。

亀山 早苗

執筆者:亀山 早苗

恋愛ガイド

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母のようには生きたくない

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母親の生き方は、多かれ少なかれ娘に影響を与えるものだ。「母のように生きたい」か、「母のようには生きたくない」か、それは母娘の関係、それぞれの性格や価値観の違いによる。母を反面教師として、ひとりすがすがしく生きてきた女性が、ようやく「伴走者」を求め始めた。

 

子ども時代の暗い影に苦しめられて

「私、父親の顔を知らないんですよ」

そう言うのは、エイコさん(40歳)。物心ついたときには、地方の山奥の「小屋みたいな家」で母とふたりで暮らしていた。母が勤めていた記憶はない。

「近所の農家を手伝ったり、野菜を売りに行ったりはしていたようです。ただ、学校に行くようになり、帰宅すると家中の鍵が閉まっていて入れないこともありました。近くで座っていたら、家の中から男の人が出てきて……。今思えば、そういうことでお金をもらっていたのでしょう。高学年になるにつれて母への見方は厳しくなっていきました」

スナックで母が酔いつぶれていると連絡があり、30分もかけて歩いて迎えに行ったこともあるという。

「父親のことは頑なに話しませんでしたね、母は。母の人生がどういうものだったのかも私はよく知らなくて。学校は好きでした。知らないことを知ることができる勉強というものも楽しかった」

中学ではいつも3本の指に入るほど勉強ができたエイコさんは、県立高校に入学、家から1時間半近くかけて通い、こっそりアルバイトもしていた。母は相変わらず飲んだくれ、夜中にときどき泣いていた。

「当時、好きな人がいたみたいです。その人とデートのときはうれしそうなんだけど帰ってくると泣いていた。不倫だったんでしょうね」

高校1年生のクリスマス、母は大きなケーキとローストチキンを持って帰宅した。おそらく彼からの差し入れだろう。30万というお金も見せてくれた。これで少しは暮らしていけると思っていたら、母の酒代に消えてしまい、エイコさんは母を怒鳴りつけたこともあった。

「大丈夫よ、あの人がなんとかしてくれると母が言ったのを覚えています。そうやって人に頼らないで働きなさいと怒鳴りました。その後、彼とうまくいかなくなって、また別の男に頼って……。そういう母を見るのがすごく嫌でした」

エイコさんはときどき母の財布を覗き、お金があると抜いて貯金した。どうしても大学に行きたかったからだ。

とある国立大学に現役で合格したとき、彼女は「小屋のような家」からひとり巣立っていく爽快感を味わったという。

「奨学金とアルバイトで何とかするしかなかったから不安でしたけど、私は絶対に母のような人生を歩くまいと決めていました。家から出ていくとき、母は長年の不摂生とアルコールで顔色も悪く、少しぼんやりしていました」

役場の人に母の窮状を話して、エイコさんは旅立った。

 

母は施設へ、そして彼女は……

エイコさんは自力で大学へ通い続けた。奨学金とアルバイトをしながら節約してお金も貯めた。

「理系だったのでだんだんアルバイトをする時間もなくなっていくだろうと思って。母はその後も、いろいろな男性に頼りながら暮らしていたみたいですが、とうとう健康を損ねて施設へ入りました。まだ40代後半だったのに、会いに行ったときはもうおばあさんみたいでしたね。私の顔を見るなり、『あんた、私をバカにしているんでしょ』と言って。施設の人はびっくりしていましたけど、確かに私は母を心の中で軽蔑していた。母もわかっていたんでしょうね」

もう2度と会うこともないだろうと思っていた。彼女が大学院生になったころ、母はひっそりと亡くなったそうだ。

「私の人生には関わってこない人だと思っていたけど、いなくなってみると急に、母の人生は幸せだったのだろうかと考え込んでしまいましたね。男がいなければ生きていられなかったのはなぜなのか、どうして自分を確立できなかったのか……」

考えてもわからない。だが考えずにはいられなかった。そして、ああやって男を頼る母の血が自分の中にも流れていることが怖かった。

「そう思ったら恋愛が怖くなりました。大学時代に少しつきあった人はいますが、うまくいかずに別れて、その後、母が亡くなったので、もう恋愛はできないと思うようになりました」

大学院を出て、希望の会社に研究員として勤め始めた。同僚の女性たちと気が合ういい職場なのだが、やはり恋愛はできなかった。

「誰かを愛したい、信じたい。そういう気持ちはあるんですよ。だけどいざ、そういうチャンスがあると、すべて冗談にして友だち以上にはさせない。ずっとそんな感じでした。私から好きになった人もいたけど、つきあうには至らない」

だが2年ほど前、10数年、仕事をしてきて初めて「もう辞めようか」と思うほど悩んだ時期があった。自分の研究への思いと会社の意見が真っ向から対立してしまったのだ。

「そのとき励ましてくれたのが同僚の男性Kさんでした。おとなしくて目立たないけど着実に成果を上げていくタイプです。彼はじっくり私の話を聞いて穏やかに励ましてくれた。チームで考えようと他の人の意見も聞いてくれて。結局、妥協点が見つかってうまくいったんですが、彼はよかったねと笑うだけ。思わず私からお礼にと食事に誘いました」

それ以来、ときどき食事をしたり飲みに行ったりする仲になったが、どちらからも「つきあおう」というひと言が出てこない。だがこのコロナ禍、家で仕事をしていたら彼から連絡があった。

「会えなくて寂しいって。私も、と思わず言いました。そして私、過去をすべて打ち明けたんです。こんな私でよければ女として見てもらえないだろうか、と。彼、3歳年下なんですが、過去や親のことはどうでもいいと言ってくれた。

それでようやく、秋ごろからつきあうようになったんですが、ひとりが長かったせいか、母を反面教師にしすぎたのか、彼とどう接していいのかわからなくなってしまって。彼を失いたくはないけど、つきあうってどうすればいいんだっけということが多すぎて……。やはり私はひとりで生きるしかないのかもしれないと思い始めているところです」

好きという気持ちがあるなら、自分に正直になればいい。だが、彼女は自分の正直な気持ちのありようが見えなくなっているのだという。よけいなことは考えまい、彼への気持ちだけを真摯に見つめたい。彼女は最後にようやく少し明るい表情になった。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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