パルチザンへの移籍会見に臨む浅野拓磨(写真:アフロ)
元日本代表フォワード浅野拓磨(24歳)が、セルビア1部リーグの名門パルチザン・ベオグラードへ移籍。東欧の名門から再出発をはかる。
プロ3年目でブレイク、16年リオ五輪代表に!
2013年に高卒ルーキーとしてサンフレッチェ広島に入団した浅野は、プロ3年目の2015年にブレイクする。現在は日本代表を指揮する森保一監督のもとでスーパーサブの役割を与えられ、J1リーグ戦で8得点を記録する。チームの3度目のリーグ優勝に貢献するとともに、自身はベストヤングプレーヤーに選出された。16年1月にはリオ五輪アジア最終予選に出場し、韓国との決勝戦で途中出場から2点を叩き出す。3対2の逆転勝利の立役者となった。ゴール後のパフォーマンス”ジャガーポーズ”も、広く知られていった。
同年夏のリオ五輪では、グループリーグの全3試合に出場して2得点を記録する。加速力抜群のスピードに決定力を併せ持つ浅野は、リオ五輪後にイングランド・プレミアリーグの強豪アーセナルの一員となった。
就労ビザの関係でアーセナルからシュトゥットガルト(ドイツ・ブンデスリーガ2部)へ期限付き移籍しながら、浅野は日本代表にも招集されていく。当時のヴァイッド・ハリルホジッチ監督のもとで出場機会を増やし、17年8月31日のロシアW杯アジア最終予選で決定的な仕事を果たす。勝てばW杯出場が決まるオーストラリアとの大一番で、先制ゴールを叩き出したのだ。当時22歳の若武者は、翌年のW杯でも活躍を期待される存在となった。
18年ロシアW杯出場を逃し、クラブでも……
ところが、浅野のキャリアはここから急停止する。在籍2シーズン目となるシュトゥットガルトで出場機会が減ってしまい、日本代表から遠ざかっていくのだ。ロシアW杯のメンバー入りは叶わなかった。ロシアW杯後も状況は好転しない。
18年夏開幕のシーズンは、アーセナル在籍のままシュトゥットガルトからドイツ1部のハノーファーへ期限付き移籍した。シーズン序盤はコンスタントにピッチに立った。
ここで彼を苦しめたのが契約だった。
リーグ戦に一定試合数以上で起用すると、ハノーファーはアーセナルから浅野を買い取らなければならない。クラブ内で意見が対立した末に、19年4月以降は浅野を起用しないことになる。ハノーファーは2部に降格し、浅野は新たな所属先を探すことになった。
新天地は成長につながる環境
新天地はセルビア共和国のパルチザン・ベオグラードとなった。旧ユーゴスラビア時代から名門として知られており、のちに西ヨーロッパのクラブで活躍する選手を数多く輩出している。元日本代表監督の“賢人”イビチャ・オシムが、90年代前半に監督を務めたクラブでもある。現監督のサボ・ミロシェビッチもOBのひとりだ。1998年のW杯に旧ユーゴスラビア代表として、2006年のW杯にセルビア・モンテネグロ代表して出場した45歳の指揮官は、キャリアの大半を過ごしたスペインでストライカーとして名を馳せた。
スピードが最大の武器の浅野に対して、ミロシェビッチはゴール前で構えるストライカーだった。タイプこそ異なるものの、監督から学ぶことは多いだろう。
チームメイトからも刺激を受けそうだ。
キャプテンで正ゴールキーパーのヴラディミル・ストイコヴィッチは、セルビア代表として活躍した195センチの大型守護神だ。日々の練習で彼と対峙することは、浅野にとって実り多い時間となるに違いない。新しいチームメイトと打ち解ける手助けは、かつてCSKAモスクワ(ロシア)で本田圭佑とプレーしていたゾラン・トシッチが買って出てくれるのではないだろうか。
サンフレッチェで薫陶を受けた森保監督は、18年のロシアW杯後に日本代表の指揮官となった。ともにリオ五輪に出場した遠藤航(シントトロイデン/ベルギー)、中島翔哉(ポルト/ポルトガル)、南野拓実(ザルツブルク/オーストリア)は、森保監督のもとでレギュラーの地位を固めつつある。リオ五輪の僚友では植田直通(サークル・ブルッヘ/ベルギー)、室屋成(FC東京)、鈴木武蔵(北海道コンサドーレ札幌)らも、日本代表に食い込んでいる。
ベオグラードから、再び世界の表舞台へ。
浅野は捲土重来を期す。