写真は2019年3月のキリンチャレンジカップに出場した際の宇佐美貴史(写真:西村尚己/アフロスポーツ)
2018年ロシアW杯サッカー日本代表の宇佐美貴史が、16年6月以来のJリーグ復帰を果たした。古巣のガンバ大阪の一員として、シーズン後半戦から再起をはかる。ドイツ・ブンデスリーガからの帰国には、並々ならぬ決意がある。
14年に国内3冠の立役者に
1992年5月生まれの宇佐美貴史は、小学生から天才少年と呼ばれていた。ガンバ大阪の育成組織に所属した中学生年代から、すでに全国的な知名度を持つようになる。世界へのデビューは2009年のU-17(17歳以下)W杯で、柴崎岳(デポルティーボ/スペイン)らとともに出場している。柴崎は6月のコパ・アメリカ(南米選手権)で、日本代表のキャプテンを務めた選手だ。
ガンバ大阪では17歳で公式戦デビューを飾った。クラブ史上最年少記録を打ち立てた。プロ2年目の2010年には高校生Jリーガーの最多得点を記録し、ベストヤングプレーヤー賞を受賞した。
翌2011年7月、宇佐美はドイツ・ブンデスリーガ屈指の名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍する。翌シーズンもドイツのホッフェンハイムでプレーし、2013年6月にガンバ大阪に復帰した。
2014年にはJ1リーグ、ルヴァンカップ、天皇杯の国内3大タイトル独占の立役者となった。2015年3月には当時のヴァイッド・ハリルホジッチ監督のもとで、日本代表デビューを飾った。
国内で地力を蓄えた宇佐美は、2016年7月に再びブンデスリーガに挑戦する。アウクスブルクと契約を結んだ。しかし、2016年夏から2017年春にかけての16-17シーズンは、リーグ戦の3分1に相当する11試合出場に止まり、無得点に終わった。翌17-18シーズンは2部のデュッセルドルフにチームを移し、28試合出場8得点の結果を残す。チームも1部昇格を果たした。
シーズン終了後のロシアW杯では、ガンバ大阪で師事した西野朗監督のもとでメンバー入りした。グループリーグのセネガル戦、ポーランド戦に出場した。
W杯後の18-19シーズンも、デュッセルドルフに在籍した。だが、出場試合数は19に止まり、わずか1得点に終わる。宇佐美はガンバ大阪への復帰を望み、クラブ側も迎え入れたのだった。
攻撃の中心にして精神的支柱にも
元日本代表でクラブのOBでもある宮本恒靖監督が率いるガンバ大阪は、得点源だった韓国代表FWファン・ウィジョがフランスのクラブへ移籍することになった。攻撃的なMFの田中達也もJ1の大分トリニータへ新天地を求め、U-20日本代表FW中村敬斗はオランダ1部のトゥウェンテへ期限付き移籍する。宇佐美はブラジル人FWアデミウソンとともに、攻撃の柱となることが求められる。長谷川健太監督(現FC東京監督)が2017年いっぱいで退任したガンバ大阪は、昨年のJ1で残留争いに巻き込まれた。宮本監督の就任で最終的に9位まで巻き返したものの、今シーズンも優勝争いに絡めていない。
そうした事情もあって、世代交代を推し進めている。長くチームを支えてきた元日本代表で39歳の遠藤保仁が、スタメンから外れるのも例外的ではない。同じく経験豊富な今野泰幸は、ジュビロ磐田へ移籍した。育成組織出身の宇佐美は、27歳という年齢を考えてもチームリーダーの役割も担っていくはずだ。
ブンデスリーガでの挑戦は、満足できるものでなかった。それだけに、心中期するものがあるだろう。かつて“至宝”と呼ばれた男が、愛するクラブの再建を後押しする。