歴史から消されかけたアイリーン・グレイ
Authorised by The World Licence Holder Aram Designs Ltd, London
アイリーン・グレイの名前は長いこと建築・デザイン界から意図的に消され、忘れ去られていました。原因としては、彼女の寡黙な人柄によるところもありますが、時のスター建築家、ル・コルビュジエとの確執が大きかったからとも言われています。
1923年の著作『建築をめざして』において、ル・コルビュジエが「住宅は住むための機械である。」と主張していたのに対して、アイリーンは真っ向から反対の意見を述べていました。
「家は住むための機械ではない。人間にとっての殻であり、延長であり、解放であり、精神的な発散である。外見上調和がとれているというだけでなく、全体としての構成、個々の作業が一つにあわさって、最も深い意味でその建物を人間的にするのである」。
アイリーン・グレイ リブロポート出版 ピーター・アダム著 小池一子訳 P309.より抜粋
テーブルの名前「E.1027」は、プライベートな海辺の家の名称
「E.1027」は、南仏・カップマルタンの岬に建っています/写真提供:トランスフォーマー
既にデザイン界で一定の地位は築いていたものの、正式な建築の教育を受けていなかったアイリーンは、バドヴィッチの「南フランスに小さな隠れ家を造ってほしい」という望みを叶えるかたちで、新しい職能を習得しようと取り組みます。
バドヴィッチは雑誌の仕事で忙しく、設計に構えない一方で、新しい建築理論を絶え間なく教え、時折アドバイスを加えます。アイリーンは彼女なりのやり方(模型で考え、現場主義)で設計をし、著作権を共有することにします。
「E.1027」に固執するル・コルビュジエ
ル・コルビュジエが壁画を描くことに意欲を示していた1930年半ば頃に起きた事件。後に「8つの絵をタダで書いた」と、自らを正当化するような記事を見て、アイリーンを怒らせます。/写真提供:トランスフォーマー
最初は賞賛していたル・コルビュジエでしたが、ある時から批判をし始めます。その一方で「E.1027」に入り浸り、彼女に断りもなく壁画を描いたりもします。
当時の建築雑誌に度々特集を組まれるも、作者としてアイリーン・グレイの名前の記載がなく、「バドヴィッチ邸」(アイリーンはバドヴィッチの名義で土地を取得していたため)や、入り口の壁画横にル・コルビュジエ夫妻が立った写真の掲載等、捉え方によってはル・コルビュジエの作品ともとれるような扱われ方をするようになります。
ル・コルビュジエの最小限住宅として有名な「カップマルタンの休暇小屋」/写真提供:トランスフォーマー
今回は、数奇な運命をたどったアイリーン・グレイのデザイン活動と背後にある人間関係や歴史背景。現在でも購入可能なアイテム、ル・コルビュジエとの確執を題材にした映画、彼女に関する書籍をご紹介します。
アイリーン・グレイの経歴
アイリーン・グレイは、1878年8月9日に画家の父親と、貴族の血筋をもつ母親の間にアイルランドで生まれます。生涯に二つの建築と、一つの内装を残します。視力の衰えと戦いながらも、1976年11月5日に98歳で亡くなるまで現役デザイナーでした。彼女は生涯結婚することなく、当時の上流階級では珍しいことではないのですが、今で言うLGBTでした。
漆のスクリーン(1914年作)/「EILEEN GRAY-Designer and Architect」 TASCHEN出版 Philippe Garner著 P.42より
工芸的な手法で注文家具を作る時代
30代の頃から、注文家具の発注を受け、ギャラリー兼ショップの「ジャン・デゼール」を経営。学生時代にたまたま見た修復作業で使われていた「漆」に惹かれ、日本人・スガワラに師事し、彼女独自の風合いや色合いを活かした家具を制作して人気を博します。時同じ頃、友人のエブリン・ワイルドとモロッコで習得した、ウールの織り方と天然染料の知識を元に、オリジナルカーペットの制作・販売を始めます。カーペットのデザイン過程によって幾何学的な表現へと、漆を用いた家具も作風が変化していきます。
漆のスクリーン(1925年作)/「EILEEN GRAY-Designer and Architect」 TASCHEN出版 Philippe Garner著 P.44,P.45より
建築に興味を持ち、量産を念頭に置いた家具作りに取り組み始める時代
建築に興味を持ち、「E.1027」の設計にとりかかり始めた1920年代に入ってからは、使う素材が変化することによって作風が近代的なものになっていきます。スチールパイプやセルロイドにコルク等、素材と機能の関係性を実験しながら、量産を念頭においた工業的アプローチを、自主的に取り組むようになります。
この頃、アイリーン・グレイは、ジャン・バドヴィッチと共に、ヨーロッパのあちこちで開かれていた建築博覧会に出かけています。
同時に、アイリーンは装飾性を求められる前時代的な注文を受けることを辞め、1930年に「ジャン・デゼール」を閉店します。
大切な人に示した深い愛情が、細部に宿る海辺の家「E.1027」
「E.1027」は、2007年に仏政府機関に買い取られ、本格的な修復作業の後、映画撮影のロケ地にもなりました。/写真提供:トランスフォーマー
襟足を確認できるようデザインされた鏡等、細部にわたって無言のうちにメッセージが込められた造りをしたE1027/写真提供:トランスフォーマー
同年、バドヴィッチと行ったペルー旅行はアイリーンにとって忘れられない思い出となり、最後の家(「ルゥ・ペルー」)の名前となります。
限られたスペースにアイデアを詰め込んだ「シャトーブリアン通りのスタジオ」
コルクボードに調節可能なチューブライトがついた作り付けのデスク/「EILEEN GRAY-Architect、Designer」 リブロポート出版 Peter Adam著 小池一子訳 P.252より
シャワールームを区切っている金属製のカーテン/「EILEEN GRAY-Architect、Designer」 リブロポート出版 Peter Adam著 小池一子訳 P.255より
「E.1027」から更に発展させたスチール家具や、金属製のカーテン等、大変モダンな仕上がりにバドヴィッチも満足し、第二次世界大戦前まで使います。
自分自身の為だけの家「タンプ・ア・ペヤ」
ベッドに上に蚊帳吊り用のホルダー。右側には伸縮自在の半楕円を2つ組み合わせたような形状の衣装棚/「EILEEN GRAY-Architect、Designer」 リブロポート出版 Peter Adam著 小池一子訳 P.282より
「E.1027」よりも内部構造はずっと洗練されたものの、その一方で使われている家具の材質等は粗野であか抜けない印象に作られていました。それは彼女の人間性と一致しており、「働く為の家」として設計された、と解釈できます。
第二次世界大戦によって破壊された二軒の住宅を残し、パリ・ボナパルト通りの家へ
「タンプ・ア・ペヤ」の修復、最後の家「ルゥ・ペルー」の建設と、80代になっても精力的に仕事に取り組みます。交友関係は非常に狭いものになるものの、亡くなる2,3年に量産を考えていた家具3点が試作に入ることを見届けてから静かに息を引き取ります。(享年98歳)オークションで、何度も「再発見」されるアイリーン・グレイ
1972年(アイリーン94歳)、パリ・オークションハウスで、クチュリエでアートコレクターだったジャック・ドゥーセ氏所有の漆のスクリーンがとんでもない高額をつけたことから再び脚光をあびます。とりわけイヴ・サンローランが熱心なコレクターになったことで、彼女自身が「バカバカしい」と称したファッショナブルな存在になります。
ひじ掛けの部分がドラゴン、チェア本体が雲をイメージした「ドラゴンチェア」/「EILEEN GRAY-Designer and Architect」 TASCHEN出版 Philippe Garner著 P.71より
2009年。クリスティーズで行われた『イヴ・サンローラン&ピエール・ベルジェ・コレクション世紀のオークション』において、アイリーンが工芸的な注文家具をつくっていた頃の椅子「ドラゴンチェア」が史上最高額(約28億円)でで落札されます。
アイリーン・グレイの家具
●E-1027 /Cassina ixc. (カッシーナ・イクスシー)
価格:14万9040円(税込)/サイズ:510Φ 620-1010(mm) *天板高 527-917(mm)/材質:クリアーガラス クロムめっきフレーム
ゆったりとした朝の時間を恋人と過ごすために、朝食をベッドサイドでとれるようデザインされた高さの変えられるテーブル。当時、家具に使うには新しい素材だったスチールパイプが緻密に構成されおり、「見て美しく、しかも心地よい感覚をもたらすものを作りたい」2つの欲求を叶えた彼女らしい作品です。
●BIBENDUM(ビバンダム)/ClassiCon(クラシコン)/日本総代理店:inter office(インターオフィス)
価格:99 万1440 円(税込/サイズ:W900 D830 H730 SH410/材質:張地=レザー/ストラクチャー=スチールパ イプクローム仕上げ *納期: 4.5 ~ 5 ヶ月
タイヤメーカー「ミシュラン」のキャラクターの名前をつけたユーモラスなかたちのソファー。
●Centimetre Rug(センチメートルラグ)/ClassiCon(クラシコン)/日本総代理店:inter office(インターオフィス)
●TUBE LIGHT(チューブライト)/ClassiCon(クラシコン)/日本総代理店:inter office(インターオフィス)
価格:15万6600円(税込)/サイズ:250Φ H1040(mm)/材質:[フレーム] スチールクロームフレーム [ランプソケット] ブラック プラスチック ソケット [ボルテージ] 230 V [ソケット] S 14 s *プッシュボタンスイッチ *納期:1週間~5ヶ月
*インターオフィスは予約すれば、どなたでも現物の展示をご覧頂くことができます。
問い合わせ先:
〒107-0062 東京都港区 南青山1-2-6 ラティス青山スクエア6F
電話: 03-5771-7631
時を越えて一緒にコーディネートされる アイリーンとル・コルビュジエの家具
フレームがカラー塗装仕上げの「LC3」と、クロームのE1027がコーディネートされたコーナー/写真提供:Cassina ixc.
確執、といってもル・コルビュジエとアイリーンはただ憎み合っていたわけではなく、お互いにアーティストとして尊敬しあっていました。1920年にル・コルビュジエ等によって刊行された「レスプリ・ヌーヴォー」を、アイリーン・グレイは全巻もっており、多大な影響を受けています。そこには
自分のデザインしたものはどんなものでも大量生産できるものでなければいけない−それは人類に対する道徳的な責務といってもいい
という考えがあり、彼女の制作の大きな変換のきっかけをつくりました。
また、「E.1027」がバドヴィッチの死後にオークションにかけられた際、知り合いの富裕層の女性に競り落とさせたのもル・コルビュジエでした。
●LC2(エルシー2)/Cassina ixc. (カッシーナ・イクスシー)
価格:62万6400円~(税込)/サイズ:W760 D700 H660(SH475)/材質:フレーム=スティールパイプ・クロムめっき仕上、ベースクッション=ポリウレタンフォーム、背・座・アームクッション=ポリウレタンフォーム・フェザーパッディング、脚端:グライド。背・座:革
最小の構成で最大の快適性を実現することを目的としてデザインされたソファ、通称“グランコンフォール”。スティールパイプのフレームに背、座、アームのクッションを落とし込んでいくという簡単な構造ながら、永く愛され続けている名作です。※ニューヨーク近代美術館所蔵作品
映画で楽しむアイリーン・グレイとル・コルビュジエ
ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ (原題「The Price of Desire」)/Julian Lennon 2014. All rights reserved. 2014 EG Film Productions / Saga Film
映画で注目したいのは、伸びたり動いたり機能をもつアイリーンの家具が実際に動かされているのを見られること。個人的には原題の「THE PRICE OF DESIRE(欲望の価格)」に対する、アイリーン・グレイの回答が全てを語っているように思える秀逸な台詞のように感じました。
アイリーン・グレイに関する本
今回は、名作家具に秘められた1人の女性の人生についてご紹介しました。アイリーン・グレイは、仕事と私生活でもがきながらも、想いをデザインに丁寧に昇華させていきました。その仕事に対する姿勢は、今を生きる私たちにもヒントがあるのではないでしょうか。まずは映画の中で生き生きと動くアイリーンの家具を楽しんでみるのもおすすめです。*All Eileen Gray Designs are authorised by The World Licence Holder Aram Designs Ltd, London