もらえたはずの「愛」を親にだけ求めるのは間違いかも?
愛情の循環は「呼吸」に似ています。「吐く」ことを意識すると呼吸がしやすくなるように、「愛すること」に意識を向けると、愛し愛される循環が円滑になりやすいのです
「親子の愛着形成を再構築したほうがいい」とカウンセラーに言われた前出の男性。母親とも父親とも確執があり、母親とは会話が増えたものの、父親は話を聞いてくれないのだそう。
私の母もそうでした。「『悲しかった』という気持ち」を受け止めてもらいたい……という思いでしたが、私の訴えは、母にとって全否定された気分になるようでした。
過去を受け止められないオトナもいます。親が亡くなっている人もいるでしょう。恋愛や仕事がうまくいかない原因が、過去の親子関係にあることはよくあることですが、無理に対峙しようとすることがストレスになるのは本末転倒です。
「もらえたはずの愛情」という決めつけは、新たなイラショナルビリーフ(非合理的な思い込み)となる危険性も。「もらえなかった愛」100%すべてを、親から回収するのは困難です。
「かわいそうだった自分」を受け入れただけでも、大きな進歩。親からは愛を感じられなかったけれど、ありのままを受け入れてくれる運命の人に出会える可能性があるかもしれません。
愛のカタチは、いろいろ。愛の源も、いろいろあります。「この人から、こんな方法で愛されたい」と固執しないほうが、愛情溢れる人生を送れるのではないでしょうか。
にわとりが先でも、たまごが先でもいいのです
「愛されていない自分は恥ずかしい」と思っていませんか? 愛されていない(かもしれない)ことは辛いことですが、恥ずかしいことではありません。「まず親から愛されるべき」「まず彼から愛されるべき」。と、ルールを決めてしまうと、「愛情」というエネルギーは循環しません。「まず自分が愛することから」と決めつけることも、似たようなものです。「愛情」は一方通行ではなく「循環」してこそ充足し、幸福感を味わうことができるものです。始まりはどこでもいいはずです。円やメビウスの輪って、どこから書き始めてもいいでしょう? それと同じだと思います。
ただ「愛する」という能動的な行為から始めたほうが、循環しやすいのは確かだと筆者も思います。「吐く」ことに意識したほうが呼吸しやすくなるように。「相手」と「自分」。どちらから愛し始めてもいい。同時進行でもいいのです。
人のアドバイスは、その人の哲学。自分にとって100%の正解であることは稀です。一つひとつが、誰かにとって正解の「ヒント」となり、誰かにとっては参考にならないものです。いろいろな人の哲学を吸収しつつ、自分の五感を信じてオリジナルの哲学を構築しましょう。自分の人生、オリジナルの哲学で乗り越えてこそ、自分らしい生き方ができ、自分に合うパートナーが見つかるのではないでしょうか。