ヨーロッパで最もエキゾチックな都市
イスラム風のスカーフを身にまとうボスニア人女性
ビザンツ帝国、オスマン=トルコ帝国、そしてオーストリア=ハンガリー帝国と支配者がキリスト教、イスラム教入り乱れて統治した文明の十字路は、世界にも稀なモザイク都市となって悠久の歴史を今に伝えています。 現在でもイスラム教徒の住民が多く(ボスニア人)、基本的にキリスト教圏であるヨーロッパにあっては異色の旅行情緒を満喫できる町、それがサラエボです。
多大な犠牲を伴ったボスニア紛争を経て、今またサラエボが観光都市として新たな脚光を浴びています!
ボスニア紛争について
かつて冷戦時代、バルカン半島には「ユーゴスラビア」という国がありました。7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家と言われたこの国は、現在はセルビア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア、コソボと7つもの国に分かれてしまいました。かつては当たり前だった異なる民族間での結婚。友人や恋人同士が引き鉄を弾き合ったのがユーゴスラビア紛争だった
中でもセルビア人対ボスニア人の戦いはクロアチア人も交えて最大の戦争となりました。これがボスニア紛争です。1992年から95年まで続いたこの紛争の犠牲者は約20万人と言われていて、サラエボの町も最前線となり、その爪痕は街中にも、人々の心の中にも大きく影を落としています。
現在、国内は二つの「国」に分かれています
ボスニア・ヘルツェゴビナという国の中に、「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」というボスニア人とクロアチア人の連邦政体と、セルビア人の「スルプスカ共和国」が存在する。この地の複雑な民族構成を象徴するようなややこしい政治体制。
紙幣のデザインもそれぞれ独自のものを採用。上がB・H連邦、下がスルプスカ共和国の20マルカ札
現在はこのセルビア人が住む「スルプスカ共和国」とボスニア人・クロアチア人が住む「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の二つの「国」が国土を二分しています。
サラエボの町はこの「国境線」上に位置し、両民族の住み分けがなされています。ただし、もちろん本物の国境があるわけではありませんので行き来をすることは可能です。また、サラエボの中心部はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側にあります。
サラエボへの行き方
ほぼ内陸国であるボスニア・ヘルツェゴビナへは空路か陸路で向かうことになります。サラエボ国際空港はサラエボの市内からタクシーで20分ほどの比較的便利な場所にありますが(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側)、就航便数は多くはありません。ハイクオリティな機内サービスで数々の賞を受賞しているトルコ航空は成田と関西から夜出発で朝にはイスタンブールで欧州各地への便に乗り換えが可能。(写真提供;ターキッシュエアラインズ)
また、クロアチア航空がザグレブから1日1~2便、エア・セルビアがベオグラードから1日1便運行しています。LCC(格安航空会社)も運行しており、トルコのペガサス航空、ドイツのジャーマンウイングスなどがオススメです。
クロアチア航空のホームページはこちら
エア・セルビアのホームページはこちら
ペガサス航空のホームページはこちら(イスタンブールから1日1便)
ジャーマンウィングスのホームページはこちら(ケルンから週3便)
なお、BH航空というボスニア・ヘルツェゴビナのフラッグ・キャリア(国の代表的航空会社)がベオグラード、イスタンブール、スイスのチューリヒ、デンマークのコペンハーゲンに就航していますが、2015年6月から運行を一時停止してしまいました。運行再開を期待しましょう。
BH航空のホームページはこちら
クロアチアをはじめ、東欧のバスは概ね豪華で快適!
バス・クロアチアのサイトはこちら(時刻表・料金検索、予約もできます)
VALKAN VIATORのサイトはこちら(バルカン半島の様々なバスルート、時刻表が検索ができますが、公式のものではありません)
クロアチアから向かう場合、サラエボ中心部のバスターミナルに到着しますが、セルビアとモンテネグロからの場合はスルプスカ共和国内のサラエボバスターミナルに到着しますので注意してください。市内中心部までは、路線バスかタクシーで移動します。
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