40歳を過ぎても衰えを知らぬ上原投手
「今年もこの時期が来たかぁ。中日の和田さん、小笠原さん、オリックスの谷さん・・・。日の丸を背負ってともに戦った仲間が」
和田、小笠原、谷とは、2004年のアテネ五輪で日本代表のチームメートとして戦った。和田、小笠原とは、2006年の第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でもともにプレーし、世界一に輝いている。ちなみに、和田と谷は3学年先輩で、小笠原は2学年先輩。「残念だけど、いずれ自分にも訪れるわけで」と複雑な胸中を明かした。
かつて、40歳を迎えて投げていたピッチャーは、ほとんどいなかった。それが、トレーニング方法の改良、食事や栄養面などの真剣な取り組みや、登板間隔や球数制限などのシステムが確立し、40歳を過ぎても投げている選手も少なくない。しかし、ただ投げるのではなく、結果を残し続けてのオーバー40は、数少ないといえるだろう。
その点、上原は衰えを知らない。7月7日(日本時間8日)のマーリンズ戦で、佐々木主浩(元マリナーズ)に次ぐ日本選手2人目となる3年連続20セーブをマーク。しかし、8月7日(同8日)のタイガース戦で右手首に打球を当てて骨折、今季絶望となってしまった。クローザーとしての今季の成績は、43試合、2勝4敗25セーブ、防御率2.23。
「いまはケガで試合に出られない悔しさはある。でも来年も契約を残しているんだから、どうにかして来年こそは」と来季の復活を誓った。
上原を奮起させる2つの材料とは
奮起への材料が2つ。1つは、同じアメリカでの村田透投手(30)の活躍だ。インディアンズ傘下3Aコロンバスに所属する村田は今季、27試合に登板し、15勝4敗、防御率2.90の好成績を収め、インターナショナル・リーグの最多勝に輝いた。2007年の大学生・社会人ドラフト1巡目で巨人に指名され、入団。上原と同じ大体大出身で、落差のあるフォークを武器にしていたことから「上原2世」と呼ばれた。しかし、3年間で1度も一軍での登板がなく、2010年オフに戦力外通告を受けた。
その後、インディアンズのスカウトの目にとまり、渡米。2011年は1Aで開幕を迎え、2012年には3Aまで昇格。2013、14年は2Aと3Aを行ったり来たりしていたが、今年6月、メジャーに初昇格し、6月28日(同29日)のオリオールズ戦でメジャーデビューを果たした。
残念ながら4回途中4安打5失点(自責3)で初黒星を喫したが、その後も3Aで白星を重ね、最多勝までこぎつけた。大学の後輩で、ジャイアンツの後輩でもある村田の活躍に、「素晴らしいね! 頑張っているなあ」と上原は刺激を受けた。
もう一つは、年齢の近い選手が引退していくことだ。「年上の選手が本当に少なくなってきた。でも、まだ同級生で頑張っている奴もいるから、まだ自分も辞めるわけにはいかない! まずはケガしている個所をちゃんと治すことやね」。後輩に、または先輩からも刺激を受けた上原は、クローザーしての完全復活を果たすまでは、まだまだ「引退」の2文字を口にしない。