親がお金で苦労することが、子どもに与える影響
苦労しなくてもお金は引き寄せられる!
お金ほど私たちの身近にあり頻繁に使うものはありません。ところがお金の本質もその使い方も、誰もしっかりと教えてくれません。私たちがお金のことを知るのは唯一両親から。親がお金とどう向き合っているかを見て、私たちは育つのです。
たとえば両親がお金で苦労している。それが原因で両親が喧嘩をする。そんな現場を見て育った子供は、「お金は親や自分たちをイジメるものだ」「お金が不幸の元凶だ」と、お金に対してマイナスのイメージを抱くようになります。
また、親は子供に対して、何気なく「お金を稼ぐのは大変なこと」「お金がなくなったら大変」などと言いがち。するとお金に対する恐怖心や不安感が生まれてしまう。決して間違ってはいないのですが、教育というよりも脅しや刷り込みに近い。子供はお金に対して無意識のうちにコンプレックスを持ってしまう。
そういう環境で育った私たちは得てしてお金に対して卑屈になったり、逆にお金を支配しようと躍起になります。両極端というか、歪んだ関係になってしまうのですね。対等に、フラットにお金と向き合うことができなくなるのです。
働くことが苦役になっていたらお金は稼げない
「働かざる者食うべからず」という言葉があります。食うためには一生懸命に働かないといけない。お金も一生懸命に働いてはじめて稼ぐことができる。一面では真理ですが、この言葉にも間違った刷り込みが入り込みやすい。そこには「嫌なこと、苦労をすることでようやくお金が貰える」というイメージがあります。お金は楽して稼ぐことはできないもの、「苦役」の対価として給料が貰えるという構図が出来上がります。
会社勤めをしているサラリーパーソンの多くが、無意識に抱えているのがこの先入観であり刷り込みです。仕事は「苦役」であり、給料とはその「我慢料」だと。
極端な表現かもしれませんが、下々の者たちにそう思わせておいたほうが支配する側は都合がいいのです。我慢することが当たり前ですから、組織の中でむやみに反旗をひるがえすことはありません。嫌な仕事も「お金のためだから」と納得させて働かせることができる。
そしてここでも「不安」と「恐怖」が支配します。毎月、決まった給与が入らなくなったらどうしようという「不安」。給与ゼロになったら生きていけないという「恐怖」。
だからこそ苦役を耐え、そこそこの給料でも「これで何とかやっていける」「あるだけマシ」だと納得する。多くを望まず自分で自分の稼げる範囲と領域を勝手に決めてしまうのです。現状から脱するのではなく、現状維持をよしとする。
まっとうなお金の教育を受けていない私たちの多くは、両親からの刷り込みと、このような社会からの刷り込み、両方の刷り込みを受けて生きていると言えます。
これと逆なのがお金持ちの人達です。お金持ちに共通するのはお金に対するネガティブな刷り込みがなく、自由な目でお金と向き合っていること。彼らはお金に対していたずらに不安や恐怖心を抱いていないのです。
コンプレックスがないのでフラットにお金と向き合う。だから頑なな拒絶反応もなければ、逆に強い執着心もない。
また「苦役の対価がお金」だとも収入が「我慢料」だとも思っていません。好きなこと、楽しいことをすることが仕事であり、それに夢中になることで気がついたらそれがお金という報酬に結びついている。それが当たり前のことだと考えるのです。
お金の真理に気がついたある神秘体験とは?
お金を稼ぐ仕組みや流れには、私たちがふだん親や教師、会社組織から教えられる理屈とは別の、もう一つの論理があるのです。もう一つの論理とは何なのか? その不思議な存在に気がついたのは、ある強烈な体験がきっかけでした。今から15年くらい前ですが、あるミッションを自分自身に課したのです。
それは「ありがとうございます」という言葉をとにかくたくさん言うこと。私自身、徹底しないと気が済まない性格で、カウンターを片手に「ありがとうございます、ありがとうございます」と1日何回も繰り返しました。どんな場面であっても構いません。仕事をしながら、部屋の中で、呪文の様に連続で唱えるのです。
1日平均すると3000回から4000回。その回数を日記に付けて1年間、合計136万回に達した直後、不思議なことが起きました。
当時私のセミナーに参加していたある女性から電話がかかってきて、会って渡したいものがあると言うのです。行ってみるとその女性が封筒を差し出し、「どうか使ってください」と。何と中には小切手が入っているではありませんか。しかもその額を見て二度びっくり。普通のサラリーパーソンの年収とケタが一つ違う金額が書かれている!
その方とは2回ほどしかセミナーであったことがなく、特に親しいということもありませんでした。彼女いわく高額な遺産が入ったものの、ご主人は働いていて安定した収入があり、特に不自由はないと。遺産の一部をぜひ使って欲しいというのです。
たしかに私の講義の中で「お金は世の中に循環させるもの」「無意味に堰き止めたらいけない」ということを話していたのですが、彼女は遺産を手にして、わたしの顔が急に浮かんだと言います。
本当にびっくりしましたが、彼女は真剣で意志が固い。結局私も「それならば」とありがたく使わせてもらうことにしました。嘘のような本当の話ですが、「お金というのはこうやって巡ってくるものなんだ」と不思議な感覚にとらわれました。
苦労するから、我慢するからお金が入るのではないのです。私がやったことはなにか? 思い当たるのは「ありがとう」と唱えていただけ。それが何かしらに感応して目の前の小切手に形を変えた。
皆さんはすぐにはイメージできないかもしれませんが、この小切手は「ありがとうございます」という言葉136万回分のエネルギーが形になったのだと思いました。そう考えなければ説明できません。
お金とは苦役や我慢という負のエネルギーから引き寄せられるのではなく、正のエネルギーから引き寄せられるもの。正のエネルギーとは楽しいことをすることであり、自分も人も喜ばせることであり、あるいはまた、「ありがとう」という感謝の言葉を口にすることから生まれるのだと。
誰も教えてくれないもう一つのお金の真理があることに気がついた私は、それを追求し実践することにしたのです。その上で一生懸命働いてもなぜか金運に恵まれない人と、なぜかやることの多くがうまく回転し、いつの間にかお金が増えていく人の違いが分かるようになってきたのです。
★次は、お金が貯まる財布の作り方をインタビューします!
教えてくれたのは……
はづき虹映(こうえい)さん
取材・文/ビルドゥングス