日本人男子として、アジア人男子として、
初めての成績をいくつも残す
高橋大輔さんが、競技生活からの引退を表明しました。当日のニュースや翌朝の情報番組などでもトップで扱われるのを見て、彼の道のりや功績はフィギュアスケート界にとどまっていなかったんだな、と感じさせられたところです。
改めての紹介になりますが、高橋さんは、高校1年生のときに世界ジュニア選手権に初出場で優勝し、2006年トリノ五輪(8位)、2010年バンクーバー五輪(銅メダル)、2014年ソチ五輪(6位)の3大会に出場して、すべてで入賞しました。2010年バンクーバー五輪メダリストと2010年世界選手権優勝、2012年グランプリファイナル優勝は、いずれも日本男子として、アジア人男子として初めての快挙です。
2008年10月には、中国杯を控えた練習で右足膝の前十字靭帯と半月板を損傷し、手術とリハビリのために五輪の1年前のシーズンの試合に出られないことに。氷に乗ったのは2009年4月。それから10カ月後のバンクーバー五輪で銅メダリストになったことも、多くの人の心に残っていることでしょう。
引退理由は、「けがは大きな理由ではない。モチベーションという理由はあるかもしれないです」と。「ソチ五輪をめざす時に、モチベーションを保つのがすごく難しいと感じながらやっていた。今の僕では(再び五輪をめざすモチベーションを保つのが)不可能だと感じた部分はあった」といいます。
現在28歳。彼は年齢を口にしていないけれど、フィギュアスケート選手としてかなりベテランになる年齢。心身ともに楽ではない状況だったと想像します。
彼のこれまでを思い出すと……
高橋さんのこれまでを思い出すときいつも最初に、2002年11月のファンタジー・オン・アイスでのことを思い出します。まだ高校2年生で、シニアに上がったばかりでどうなるのか……という時期でした。おずおずと不安そうな表情なのに、いったん滑り始めると、スケートがとにかく伸びてスピーディ。スーーっとあっという間に目の前を滑りぬけていってしまったことがとても印象的でした。まだ魅せる感じの演技ではなかったのに印象的で、「なんだろうこの感じ?」と思ったのを覚えています。
2年後の2004年12月の全日本選手権でのショートプログラム『剣の舞』は、本人にはあまり好評ではなかったようですが、スケーティングやステップが、このあわただしい音楽からまったく遅れず、素晴らしかったです。音楽に負けずに動く懸命さがかわいらしくもありました。
2005年グランプリファイナルのエキシビションでは、しっとりとした『ノクターン』に乗せてリンクを大きく使って伸びるスケートの中に、自然と男らしさが醸しだされているのを感じました。
そのあとの活躍はもう皆さんが知っているとおりです。