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作品を読みながら歩きたい、神楽坂文学散歩(2ページ目)

神楽坂にまつわる何冊かの本を読んでから神楽坂を歩こうと思った。実際に読んで出かけてみると、散歩の幅がまた違う。1冊でもいいので、なにか作品を読んで出かけてみよう。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

石川啄木の日記に登場する神楽坂

坪内 祐三 (編集), 松山 巌 (編集)

『石川啄木 (明治の文学) 』(石川啄木著/筑摩書房)

石川啄木も神楽坂に関する文章を残している。啄木が亡くなる年、1912年(明治45年)に書かれた『千九百十二年日記』にも神楽坂が出てくる。まずは、1月29日の日記。病気になり、金もなくなった頃だ。

一月二十九日(月)
もう少しで十二時といふ時に、社の人々十七氏からの醵集(きょしゅう)見舞金三十四円四十銭を佐藤氏が態々持つて来て下すつた。外に新年宴会酒肴料(三円)も届けて下すつた。私はお礼を言ふ言葉もなかつた。

朝日新聞社の社員17名が見舞金を出し合って、34円40銭。これに加えて、新年宴会酒肴料の3円も加わった。生活苦もこれで一息つけるかと思ったら、翌日の日記はこうある。

一月三十日(火)
夕飯が済んでから、私は非常な冒険を犯すやうな心で、俥にのつて神楽坂の相馬屋まで原稿紙を買ひに出かけた。帰りがけに或本屋からクロポトキンの『ロシヤ文学』を二円五十銭で買つた。寒いには寒かつたが、別に何のこともなかつた。

今も神楽坂にある文房具屋さん

相馬屋 新宿区神楽坂5-5

今も、相馬屋さんは神楽坂にある。文房具屋さんだ。マス目の原稿用紙をここが最初に作ったのだそう。そして、今でも原稿用紙を売っている。さて、啄木のこの日の日記はまだ続く。

 本、紙、帳面、俥代すべてで恰度四円五十銭だけつかつた。いつも金のない日を送つてゐる者がタマに金を得て、なるべくそれを使ふまいとする心! それからまたそれに裏切る心! 私はかなしかつた。

大丈夫なのかと、読んでいて心配してしまう。翌日は見舞金をくれた17名に礼状を書き、その翌日の2月1日には、奥さんが朝日新聞社に給料の前借りに出かけている。そして、この年の4月13日に26歳という若さで石川啄木は亡くなるのだ。

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