小説『坊っちゃん』に登場する神楽坂
ちょっと前になるけれど、テレビ東京の「なないろ日和」という番組に神楽坂文学散歩の案内人として 登場させていただいた。ただし、かなり冷や汗モノだった。番組はスタッフの方々の尽力もあって、なんとか形にはなったけれど、勉強不足は否めなかった。というわけで、今回はその復習をかねて、文学作品を引用しながら散歩してみようと思う。まずは、夏目漱石の『坊っちゃん』。 1906年(明治39年)に発表されたとても有名な小説だ。東京の学校を卒業した主人公の坊っちゃんが、四国、松山の旧制中学校に教師として赴任し、そこで起こる出来事が面白おかしく綴られている。赴任してすぐ、学校に挨拶に行き、そのあと、町を散歩する坊っちゃん。なにかにつけ、東京と比較し、苛立っている描写がある。
それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布の聯隊より立派でない。大通りも見た。神楽坂を半分に狭くしたぐらいな道幅で町並はあれより落ちる。
そういえば、漱石の作品には「あるき散らす」という表現がよく出てくる。僕はこの歩き散らすという言葉が好きだ。さて、毘沙門天に関する記述もある。赤シャツが坊っちゃんに釣りをする聞くシーンだ。
おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、子供の時、小梅の釣堀で鮒を三匹釣った事がある。それから神楽坂の毘沙門の縁日で八寸ばかりの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜しいと云いったら、赤シャツは顋を前の方へ突つき出してホホホホと笑った。
神楽坂が人の集まる町になった最初は、ここ毘沙門天の縁日だといわれている。それにしても縁日で鯉を釣らせる商売があったんだね。ちなみに夏目漱石は生家は早稲田の夏目坂で、終焉の地も早稲田の漱石山房と呼ばれた場所で、神楽坂にはよく通っていたそうだ。