人は人、自分は自分。だけど……
街中で写真を撮っているカップル。私もあんな風にラブラブな彼氏が欲しいなぁ……。
だけど内心「どうして彼女にできて、私に彼氏ができないんだろう」と落ち込んでしまったり、彼氏の写真を見せられて「私の彼氏よりイケメンじゃん。なんで彼女ばっかり……」と思ってしまうこともあるのではないでしょうか。
これが結婚となると、羨望はさらにエスカレート。
「私のほうが可愛いし家事だってできるのに、彼女のほうが先に結婚するなんて」
もはや羨望を通り越し嫉妬してしまうのは、自分が強く望んでいるにもかかわらず、それが叶わないジレンマと、友人に先を越されてしまった劣等感から。
他人と比較して少しでも自分が劣っていると思うことに、どんな意味があるのでしょう。一点だけを捉えて「劣っている」と解釈することで生まれるのは劣等感だけ。
たとえば「私のほうが幸せになってやる!」と劣等感をバネにするのはネガティブな発想ですが、負のエネルギーを有効に活用できれば悪いことではありません。しかしそこまで昇華させられないのであれば、比べないほうがずっと幸せです。
自分と他人を比べてしまうのは誰でもやってしまうこと。外見の良し悪し、体型の違いなどあらゆる比較をし違いに気づく中で、同時に自分という「個」を認識しているのです。
比較をすることがよくないのではありません。そこから生まれる羨望という感情ばかりがクローズアップされて劣等感を引き出してしまうのが問題なのです。
他人を羨ましがるばかりの「羨望シンドローム」になると、自身の幸福に対する感情が薄れ、ないものねだりの不幸な日々になってしまいます。
どうすれば他人と自分を比べても劣等感を抱かず、幸せな毎日を送れるようになるのでしょうか。