変わる景色、変わる音
――高校を卒業して5年後に大学を受験したのはなぜですか?
滝口 保坂さんの小説論を読んでいたら、わからないこともたくさん出てきたんです。例えば、西洋哲学の基本的なことだとか、文芸批評の歴史だとか、勉強する必要があるなと思った。で、試験科目が英語と小論文しかなかった早稲田大学の第二文学部を受けたんです。ややこしい経歴ですよね(笑)。
――迂回している感じが、小説ともつながるなあと。大学は入ってみていかがでしたか?
滝口 概論的な授業も勉強になりましたし、小説を書くうえでは、市川真人さん、佐々木敦さん、千葉文夫さん、芳川泰久さん、渡部直己さんなど、批評理論や批評のあり方についての講義が特に勉強になりました。だいたい満足して3年くらいで中退したんですけど。その後、輸入食品店に就職したんです。
大学を辞める少し前は時間にゆとりがあったので、いろんなところを歩き回っていました。
――「楽器」に書いた「迷い歩き」ですね。ひとりで?
滝口 ひとりで。そういうことに付き合ってくれるほど暇な人はいなかったです(笑)。もう友達もみんな就職してて。歩いていると、ここに着くとは思わなかったという場所に着くんですよ。迷いながらどこかにたどりつくまでの過程が楽しい。家の見た目も、出てくる人や生きものも、聞こえてくる音も変わるし。
同じ時期に音の響きについてもすごく考えたことがあって、それで「楽器」がああいう感じになったんですね。
――音の響きというと?
滝口 音楽をかけるときに、いろいろ聴き方を変えるんです。再生装置をハイファイにしてオーディオマニアみたいな方向に行くとお金がかかるじゃないですか。だからローファイというかノイジーな方を指向するようになって。例えば、このラジカセでどうやってCDを聴くかということを考える。イヤホンを半分はずしてみたり、ベランダにラジカセを置いてみたり、いろんな聴取法を試しました。隣の家から流して聞きたいなあとか。
散歩していても、ピアノの練習をしているおうちがあるとすごくいいなと思うんですよ。自分が所有している音楽とは全然違う距離感や関係性があって。
――登場人物がたどり着いた庭の松が鳴らす音とか、音の描写は魅力的です。最後もおたまを菜箸で叩いてカーンという音がするシーンで終わっている。新潮新人賞の選評で、川上未映子さんが「どんな菜箸でもおたまはカーンと鳴りません」と指摘されていましたね。
滝口 なるほどその通りだと思いました。応募原稿の段階では、手におたまを握って菜箸で叩くことにしていたんです。そうするとおたまの振動をおさえてしまうから、バチッという音しか鳴らない。僕の不注意なので、雑誌に掲載される前にカーンと鳴るように修正したんです。
本にする前に読み返したら、よくこれが受賞したなと(笑)。先のことを何も考えず、ほんとうに好き勝手に書いています。