かつて百川があった場所
福徳神社のお社の横に説明板があって、ここに百川のことなどが書かれている。これを読むと百川があったのは、浮世小路の東端北側だったそうだ。ということは、先ほどの日本橋室町野村ビルのところか。さらに「しょーじ」という呼び方についての記述がある。この界隈に屋敷のあった町年寄喜多村家の出身地である加賀の方言でこう呼ばれるようになったそうだ。落語のストーリーが動き出す。方言がきつい百兵衛さん、初めての奉公ということで百川にやってくる。さて、初仕事。百川の主人から、魚河岸のお客さんが二階の部屋へいるので、用を聞いてきてくれと言われる。ただし、河岸のお客さんは気が荒いから、言葉遣いなどには気をつけるようにと付け加えられ、百兵衛さんは二階の手の鳴っている部屋へ行く。
かつて日本橋には魚河岸があった。日本橋北東角に「日本橋魚河岸発祥の地」という碑がある。関東大震災で築地に移るまでというから、ずいぶん長い間ここに魚河岸があったのだ。
そんな河岸のお客と百兵衛さんの掛け合いがおかしい。百兵衛さんのきつい方言が河岸の連中にはよくわかず、祭りの掛け合いにきた人だと勘違いされたり、慈姑(クワイ)の金団(キントン)を丸呑みさせられたりする。