「私だけじゃない」と安心してはダメ!
修道院出身でなくても、世間から浮いてしまうほど女子をこじらせてしまうのは自分が苦しいだけ。マイペースもほどほどに。
「私なんか……」と卑屈になれば、当然ながら男性からは「面倒な女」だと思われてしまいます。好きなのに素直になれない「ツンデレ」なふるまいは、多少女心のわかる男性にはかわいく映るかもしれませんが、それも程度問題。
あるいはモテたくて必死になるばかりに、そのがんばりぶりが痛々しく見えてしまうなど、女子をこじらせてしまうスパイラルに陥ると、抜け出すのは簡単ではないようです。
こじらせ女子になってしまう要因はさまざまですが、中でも多いのは、過去の恋愛で傷ついたことがトラウマになってしまうケース。思春期に好きな男子に「ブス」と言われたことがきっかけで、恋愛ができなくなってしまう人もいます。
こじらせ女子を卒業したいと思いつつ、そこから抜け出せない人が多い理由は「こじらせ女子」というぴったりの言葉が蔓延したことにあります。
「私も同じ!」女性にとっての“共感”は、不安を安心に変えてしまうもの。みんなもそうだからいいや、というぬるま湯感覚は「出る杭になって打たれる」不安とセットになってしまうため、心の中では「いい恋愛をしたい=こじらせ女子を卒業したい」と思っていても、なかなか行動に移せなくなってしまうのです。
群れの安心感は人間の本能的なもの。だけどそれはずっと続けられるわけではありません。
ひとりふたりと身近な人が結婚して環境が変われば、友達より家庭を優先するようになるのは当然のこと。
ネットの世界では、膨大な数の「こじらせ女子」が棲息しているように見えるかもしれません。しかし女性というものは、本音と建前を本能的に使い分けできる生き物です。「私も!」と投稿している女性の多くが、実生活(リアル)では幸せな恋愛をしていたりするのです。
幸せな恋愛ができないとしたら、それは誰のせいでもありません。しかしあなたのこじらせ具合が邪魔をしていることだけは間違いありません。
逆にいえば、幸せな恋愛をしたければ、あなたの心がけひとつで叶えることができるのです。
どうすれば、こじらせ女子を脱皮して幸せな恋愛ができるのでしょうか。
直木賞候補にもなった姫野カオルコ原作の映画『受難』の主人公・フランチェス子を例に分析してみました。