「愛」とは与えるもの
想いの大きさは計れないものだけど、与えたり、与えられたりしたいよね
言葉のニュアンスは生きていくなかで変化していくものですし、捉え方にも個人差があるとは思います。でも、私は「愛とは何か」を断言することはできません。結婚~離婚~再婚を経て、やっと最近「これが愛かもしれない!」と気づけたところです。
話を戻します。「愛とは与えるもの」とは「見返りを求めてはいけない」という意味で用いられるものだと思います。親子関係においては、それでいいと思いますが、男女関係に於いては「与えるだけ」は寂しいものです。
何より与えっぱなしではエネルギーが枯渇します。私は、前の結婚生活では与えっぱなし支えっぱなしで、自律神経失調症やパニック障害になりました。要は、バランスだと思うのです。
確かに見返りを求めてはいけないとは思います。そして、リアルタイムに同じだけ与え合えていることに固執するのも良くないでしょう。支えるとき、支えてもらうとき、そういう時間差があり、長い目でみる必要はありそうです。
それでも、エネルギーは循環です。自分からパートナーへ、パートナーから自分へ。ぐるぐる循環してこそ、関係がうまくいくのだろうと私は思います。お互いに相手を大切だと思えて、自然に与え合える関係でなければ、いっしょにいて楽しくない……そう思ってもいいのでは無いでしょうか。そのバランスが崩れたら、話し合うこと。そうやって二人で関係を育てていけばいいのだろうと思います。