旧万世橋駅の歴史とその後の変遷
中央線(1906年の国有化までは甲武鉄道)は、新宿、御茶ノ水を経て、1912年に万世橋まで開業。都内のターミナル駅として賑わった。終着駅にふさわしい赤レンガ駅舎は、東京駅を手掛けた辰野金吾氏によるものだった。けれども、1919年に中央線が東京駅まで延伸されると、ターミナル駅の機能は東京駅に移り、一介の中間駅になってしまった。1923年の関東大震災で風格ある赤レンガ駅舎は焼失、1936年には万世橋駅脇に交通博物館が移転してきたものの、周辺に秋葉原、神田、御茶ノ水など多くの駅があったため、利用客は減る一方で、第二次大戦中の1943年に駅としての営業は休止となった。都心にある駅で休止(事実上の廃止)に追い込まれた駅は珍しい。
駅の施設は、休止以来、高架橋と一体構造のため、ほぼそのままの状態であった。しかし、2006年に交通博物館が、大宮に鉄道博物館として移転後、周辺が再開発されることとなり、歴史的な万世橋駅跡を遺構として残しつつ、商業施設を中心としたスペースとしてオープンする運びとなった。