強烈なプロトタイプカーの時代へ
フランスのマトラ、イタリアのフェラーリが総合優勝争いをするワークス活動から退くと、再びポルシェの時代がやってくる。1976年にはオープントップのプロトタイプカーがグループ6規定に、さらに市販車のフォルムを残した純レーシングカーのシルエットフォーミュラ(グループ5)が登場し、ルマンは強烈なレーシングカーの戦いの舞台となる。また、北米からIMSAやNASCARの車両も招待し参加を促すなど、ルマンは様々なタイプのレーシングカーが走る舞台となる。ドイツのポルシェはグループ6規定のオープントッププロトタイプカー「ポルシェ936」で76年、77年のルマンを制し、フランス車に奪われた覇権を取り返した。
対するフランス勢としてはルノーが傘下におさめたアルピーヌと共にルノー・アルピーヌとしてワークス参戦。76年からポルシェの対抗馬として2リッターV6ターボエンジンを搭載して参戦。3年目の78年にポルシェを打ち破り、ルノー・アルピーヌは優勝を飾り、4年ぶりにフランス車に栄冠をもたらした。
ルノー・アルピーヌA442。ルマンミュージアム展示の1台は1978年に4位に入ったA442A。この年、A442Bが総合優勝を飾った。
78年の優勝後、ルノーはF1に注力。ルマンで鍛えられたV6ターボエンジンの技術をもってF1のターボ時代到来を促すキッカケを作ることになる。
ルノーが去った1979年はプライベートチームに数多く託されたポルシェが活躍する。雨の中、2台参戦したグループ6規定の「ポルシェ936」は共に完走することができず、ドイツのクレマーレーシングが走らせたシルエットフォーミュラの「ポルシェ935」が総合優勝を果たす。ミッドシップのオープントップのプロトタイプカーではなく、リアエンジンの車両が総合優勝を飾るのは初めてだった。
シルエットフォーミュラ、ポルシェ935ターボ
既に70年代前半にはエントリーの半数以上がポルシェで締められていたほどに、「911」から純レーシングカーに至るまで耐久を戦うためのウエポンとしてルマンの顔になっていたポルシェ。この時代にポルシェを走らせたプライベーターたちが後に、耐久のプロフェッショナルとして活躍し、ワークスチームと共にポルシェの勝利数を重ねて行く存在となる。そして迎える80年代、グループC規定が採用され、ポルシェはルマンで最強の存在として君臨する時代がやってくるのだ。この辺りは次回の「後編」でご紹介しよう。
後編へ続く
【ルマンミュージアム】
Musée automobile de la Sarthe
Circuit des 24 Heures du Mans
72009 Le Mans
公式ホームページ(フランス語)