「流通」「技術」「材料」の3つが揃った大阪

カーペットの歴史は、非常に古く、紀元前4000年頃ペルシャ地方の羊飼いたちが糸を紡ぎ植物の汁で染色をして織物をつくったのが、絨毯のはじまりだといわれています。

現存する世界最古の絨毯はロシアエルミタージュ美術館に収められており、紀元前500年ごろのものだといわれています。僕もまだみたことはないのですが、ロシアを訪れるときにはぜひ皆さんにも見てきていただきたいと思います。

その後シルクロードを通じ絨毯は東に伝わっていき、日本の絨毯の歴史は1688年に鍋島緞通(佐賀県)からはじまったとされています。
その他にも赤穂緞通(兵庫県)、堺緞通(大阪府)、山形緞通(山形県)の4箇所で絨毯の製造がはじまっていきます。

その中で、民間主導ではじまったのが「堺緞通」と「山形緞通」です。その他の緞通は藩によって厳しく管理され、いわゆる「官」が主導で生産がはじまりました。

「商人の街」と言われている堺は、みるみるうちに堺緞通を日本全国に、そして世界に発信していきます。こうやって大阪堺において「流通」がしっかりできあがっていったことが、大阪が日本一のカーペット生産量になった一つの要因だと思います。

残念ながら、本来の堺緞通(手織り)は、産業としてはほとんどなくなってしまいましたが、大阪堺市の堺産業振興センター2Fで、毎週月曜日午後1時から4時で実演をみることができます。また、大阪刑務所の職業訓練として採用されています。

堺緞通

                    堺緞通



次に室町時代の応仁の乱において、京都の西陣織の職人が大阪堺に避難し、「技術」が大阪に持ち込まれたことも2つ目の要因だと思います。

そして最後に、カーペットをつくる材料、「糸」の生産が大阪で行われるようになったことが、3つ目の要因です。江戸時代、薩摩藩の人がヨーロッパから「紡績機」という巨大な機械を鹿児島に導入しました。その後明治に入り、その薩摩藩の人が大阪に異動を命じられ、その際に紡績機を大阪にもってきました。こうしてカーペットの材料である「糸」を、安定的につくる土台が大阪にできあがっていきました。

紡績機

紡績機



「流通」、「技術」、「材料」、この3つが整ったおかげで、大阪のカーペット産業は日本一の生産量を誇る生産地となりました。

このように、歴史を遡ると、大阪が日本一のカーペット生産量を誇るようになったわけがわかってきます。

皆さん、大阪に観光に来られる際は、ぜひカーペット工場見学をしてみてはいかがでしょうか?

ちょっと難しい話になってしまいましたが、どんな製品も歴史を知っていると、物に愛着がわいてくるものだと思います。今現在カーペットの生活をされている皆さん、これからカーペットの購入を考えている皆さん、ぜひMade in Japan、その多くはMade in Oasaka、ということを感じていただけるとうれしく思います。



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