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織田信長が敦盛を舞い、桶狭間へ出陣した清州城

那古野城から移った織田信長が居城としたお城。桶狭間の合戦はこの清州城から出陣しました。もっとも現在のお城は1989年に建てられた模擬店主です。

水谷 哲也

執筆者:水谷 哲也

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若き織田信長が居城とした城、清州城

 

 

新幹線で大阪から名古屋へ向かう途中、名古屋駅に到着する前に左手の川沿いにに見えるお城です。那古野城から移った織田信長が居城としたお城。桶狭間の合戦はこの清州城から出陣しました。もっとも現在のお城は1989年に建てられた模擬店主です。

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」と敦盛の一節を舞い、茶漬けを食べながら、螺(ほらがい)を吹け、具足をよこせと出陣していくシーンは映画やドラマでよく出てきます。もっとも信長の時代は天守閣などがない時代で、川の反対側に城がありました。現在は古城跡公園になっていて、桶狭間の方角を向く信長の銅像も建てられています。

桶狭間の戦いで今川義元に勝利した後、徳川家康と同盟(清洲同盟)を結ぶのも清州城。やがて本能寺の変が起き、信長亡き後の織田家の跡目をどうするか柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人が話し合った(清州会議)のも、この城です。これが賎ヶ岳の他戦いにつながります。

清州城は織田信雄、福島正則など城主がいろいろ変わりました。この頃に天守が建てられています。やがて徳川家康によって、清須から名古屋へ城下町も含め引越しが命じられます。

この引越は清須越しと呼ばれていますが、長者町など名古屋に今も残る地名はこの時にできたものがけっこうあります。清州城も移築され、名古屋城に現存する清須櫓は清州城の天守を移築したのではと言われていましたが、どうも部材を転用しただけのようです。

■清州城
住所:愛知県清須市朝日城屋敷1番地1
アクセス:JR東海道本線清洲駅から徒歩15分。基本的に線路沿いに歩いたら着きます。案内板が出ています。
開館:午前9時から午後4時30分まで(入館は午後4時15分まで)
休館日:月曜日(休日の場合は直後の平日)、12月29日から31日、ただし桜の花見期間・清洲城ふるさとまつり期間は開館
入館料:大人300円
地図:Yahoo!地図情報
サイト:http://www.city.kiyosu.aichi.jp/01syokai/shisetsu/50.html

※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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