暇つぶし=ゲーム?
「暇つぶしならグリー」という広告を見た時、筆者が得た感想は「ゲーム開発も大分志が低くなったものだたな」と言ったものだった。今のところ、ソーシャルゲームの多くは同じ作業を繰り返してコレクションを充実していくというものだ。筆者はいくつかのソーシャルゲームを試してみたが、(あくまで個人としての感想だが)楽しめるものは殆ど無かった。「忍者ロワイヤル」などのゲーム要素が比較的高いものはそれなりに熱中できたが、多くのものはゲーム性すら感じることができなかった。新しいジャンルのゲームに対しては「これはゲームか」という議論が往々にして起こるが、その線引きはおそらく無意味なものだ。ゲームであろうがなかろうが、ある種の娯楽には違いない。だが感覚を総動員して楽しむエンターテインエントか、ただの時間潰しかという点では大いに違いがある。
確かにゲームの原点は暇つぶしかも知れない。優れた戦略性を持ったチェスや麻雀、知恵の輪やジグソーパズル。娯楽として広まる大本は暇つぶしだったことだろう。しかし、ゲーム機はそこから音、映像、物語性を得てエンターテインメントへと進化していった。ソーシャルゲームの台頭は、ある意味ではその進化がいったん無に還ろうとしている瞬間ともいえる。
薄れていくゲーム性
かつてはカジュアルゲーム、今はソーシャルゲームがゲーム業界を席巻している。手軽さという意味では2つは同列といえるのかもしれない。それらと比較すれば苦戦しているといえる家庭用ゲーム機は、エンターテインメント化していく中で、ゲームとしての本質が徐々に薄れていった。音楽、映像、物語性。ゲームを盛り上げる諸要素がゲーム性より重視されるに至り、映画などの高度なエンターテインメントのような存在へと昇華していった。だが、肝心のゲーム性が希薄であったり、製作者側の自己満足が前面に出てしまったりと評価は必ずしも前向きなものばかりではなくなっていた。家庭用ゲーム機より携帯ゲーム機、携帯ゲーム機よりスマートフォンというトレンドの変化はユーザーの正直なニーズの変化といえる。とは言え、現在のソーシャルゲームの盛り上がりは健全なものばかりではない。