「開館60周年 シャルロット・ペリアンと日本」

神奈川県立近代美術館「開館60周年 シャルロット・ペリアンと日本」展を前編に引き続きご紹介します。

あらためて述べますが、シャルロット・ペリアン(1903-1999) は、巨匠建築家:ル・コルビュジエとその従兄ピエール・ジャンヌレと、20世紀の建築とインテリアに数々の優れた作品を残したフランスの女性デザイナーです。
戦前戦後を通じて日本のデザイン界に多大な影響を与えたシャルロット・ペリアンと日本の関係をひも解く今回の展覧会は、ファニチャーイストのみならず、デザイン・建築を学ぶ学生達にも貴重な内容ですね。
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ル・コルビュジエ、ピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアン共同製作「シェーズ・ロング(寝椅子)」に横たわるペリアン/1930年頃   (引用:展覧会図録 p20-21 /鹿島出版 会)       ● 画像をクリックすると拡大します。


さて、展覧会後半は

第三章 「戦後/日本との再会」 

まず、会場正面の「素敵な棚」に釘付けになりますね。

ココでは、戦後の日本に再来日したペリアンの仕事、とりわけ「巴里一九五五年 芸術の綜合への提案 ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展」に関連する作品が展示されています。

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「第三章 戦後/日本との再会」 展示風景 (c)NAO        ● 画像をクリックすると拡大します。

ペリアンの商工省委託の任期終了の1941年の翌年、ペリアンは、日本輸出振興策の為に当時フランス総督管轄下のインドシナへ向かうことに。ここでまた「日本との運命の出会い」が始まる。現地で知り合い、結婚した夫ジャック・マルタンが1952年にエールフランスの初代日本支社長として東京へ赴任、もちろんペリアンも家族と共に日本へ。1953年、再来日となるのです。

1950年代の日本は、戦後の復興期。その後の経済発展の一役を担う「工業デザイン」はまさにペリアンの存在が際立つ「舞台」でした。
ペリアンは、精力的かつクリエイティブにデザイン活動を行ないます。

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シャルロット・ペリアンデザインによる軽量低座卓(手前)、シルバーとブラックのコントラストが美しい「ムーブル・エクラン(間仕切り家具)」 (c)NAO ● 画像をクリックすると拡大します。


ペリアンの再来日を知った坂倉順三が展覧会の話を持ちかけ、1955年3月、産業経済新聞社と高島屋主催、フランス外務省・文部省、日本の通商産業省とフランス大使館、エールフランスの協力により「巴里一九五五年 芸術の綜合への提案 ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン三人展」が開催されました。
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ル・コルビュジエ「戸外には倦怠が在った」(タペストリー/1955年) (c)NAO           ● 画像をクリックすると拡大します。


会場壁面には、当時のル・コルビュジエによるタペストリーが展示されています。元々画家を目指していた建築家:ル・コルビュジエ、「ボリュームを感じるラインとカラーリング」が特徴的です。

左側には、ペリアンの椅子とテーブルが展示されています。

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ターブル・エール・フランス(左)、オンブル(中)、重ねたオンブル(右) (c)NAO                         ● 画像をクリックすると拡大します。


中央の黒い椅子:オンブル(影)は、ペリアンの代表作。成型合板によるしなやかで清楚なこの椅子は、スタッキング(積み重ね)できるようデザインされています。

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重ねたオンブル (c)NAO           
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椅子の横にあるテーブルも同様の考えで、これらは銘々膳の形と用途を折り紙の考え方でデザインしているのです。まさに「日本」に触発されたペリアンの仕事です。
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積み重ねた椅子:オンブル(左)  積み重ねたテーブル:ターブル・エール・フランス(右下)
重ねたお膳、桶(右上)撮影:シャルロット・ペリアン/1954年   (引用:展覧会図録 p190-191 /鹿島出版 会)


そしてこのような仕事を示したペリアンの存在は、ともに仕事をした建築家:坂倉順三や丹下健三、工業デザイナー:柳宗理、剣持勇など当時の日本デザイン界に多大な影響を与えていました。