きっかけは1人の若者の自殺

地中海に面した北アフリカの国・チュニジアは、カルタゴ遺跡で有名。

地中海に面した北アフリカの国・チュニジアは、カルタゴ遺跡で有名

すべての始まりとなったのは、去年2010年12月17日に起こった、1人の若者の自殺でした。

この若者はチュニジア中部の都市シディブジッドで、果物などを売って普通の生活を営んでいました。しかし12月、警察が「許可なく販売行為をしている」という理由で、販売に使う荷車を没収。生計への道を断たれたその若者は、絶望して抗議のために焼身自殺しました。この事件はチュニジア全土で困窮する国民の怒りに火をつけ、各地で警察署などへの抗議・焼き打ちが頻発。今月1月に入り、本格的な暴動へと拡大していきます。

汚職、失業、食糧価格高騰で国民の不満が限界に

このような暴動が拡大することとなった背景には、これまで23年間独裁政権を続けてきたベンアリ大統領(現在は亡命)政権への不満が、国民の間に溜まりに溜まっていた事実があります。独裁政権によく見られる汚職問題に加え、近年の高失業率問題。そして昨年から深刻化している食糧価格の高騰問題が、国民の不満に火をつけました。

暴動は1月8~9日ごろから各地の都市で始まり、数日後には早くも首都・チュニスにまで拡がりました。12日には、政府が夜間外出禁止令を発令。政府は軍隊まで投入してなんとか事態の鎮静化を図りましたが、軍部も政府に対して不満を持っていたため、ベンアリ大統領には従いません。ついに1月14日、ベンアリ大統領とその家族はサウジアラビアに脱出し、ここでベンアリ政権が崩壊しました。

その後、1日だけ前首相のガンヌーシ氏が大統領を代行した後、前下院議長のメバザア氏を暫定大統領とした暫定政権が発足。しかし新政権の閣僚に、前与党である立憲民主連合(RCD)の政治家が何人も残っているため、国民の不満は消えずに、まだ暴動・デモは続いています。

今回の政変はチュニジア国花からとり「ジャスミン革命」と呼ばれており、北アフリカ地域に大きな影響を残しそうです。