文明のはじまりとともに統合失調症的な症状は記録されています |
しかし、統合失調症的な病態は古代文明の時代から記録があります。今回は統合失調症の概念が生まれるまでの歴史についてお話したいと思います。
古代エジプト文明における統合失調症
古いものでは、ナイル河流域の草であるパピルスに記された文書に、統合失調症を思わせる思考障害についての記載があります。治療するためには神殿の聖なる場所で夜を過ごし、その時に見た夢を神から送られたメッセージとして神官が解釈し、治療法を決定していたようです。治療の際には、神の治癒力を強めるためというで、ハーブを使用したり祈祷を行っていたと記録されています。この治療法は古代エジプトの高僧イムホテップが始めたものと言われています。イムホテップは映画「ハムナプトラ」シリーズでは、3千年の眠りから蘇った怪人でしたが、古代エジプトでは医学の父として、また、初めてピラミッドを建築した人として尊敬されていました。
ローマ帝国の時代から中世ヨーロッパにかけての統合失調症
ローマ帝国の医師アレタイオスが2世紀頃にまとめた医学書に統合失調症の症状を思わせる記載があります。病気の原因は当時の定説であった「体液説」に基づき、体内の4つの体液のバランスが乱れたためと説明されています。ナンセンスな仮説に基づいた説明ではありますが、心の病気が一般の体の病気と同じように生理的な異常に基づいているという点は現代的です。しかし、一般の人々の間では心の病気は悪霊が乗り移ったためという迷信がポピュラーでした。
中世になるとローマ帝国時代に花開いた科学文明は衰退してしまい、宗教的な教えが生活の中心でした。心の病気は悪霊が乗り移ったためという迷信が支配的になってしまい、治療としてエクソシストが悪霊を体内から除く儀式が行われたり、魔女狩りの対象となって火あぶりといったような非人道的なことも起こりました。
一方、当時の日本にも、万葉仮名に風狂(ものくるはし)、毛乃久流比(ものくるひ)という心の病気を表す語があるように、心の病気という概念はありました。同時代のヨーロッパと比べると精神障害への対処は対照的で、当時の法律集である養老律令には精神障害の場合の租税の免除、刑罰の軽減などが明記されていて、その人道的な面は現代に通じるものがあります。
ヨーロッパでは中世が終わり、ルネッサンスが始まっても、心の病気に関する理解は進まず、相変わらず、悪霊が乗り移ったといったレベルでした。しかし、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、エミール・クレペリン、オイゲン・ブロイラーらによって、統合失調症の概念が生み出され、この病気を理解していく基礎が作られました。次に統合失調症の概念を見つけた医師について述べます。
エミール・クレペリンによる精神病の分類
ドイツ人医学者クレペリンは当時、ひとくくりに精神病と扱われていた心の病気のなかに、躁うつ病と早発痴呆の2つの病態がある事を、病気の経過の違いから認識しました。早発痴呆は、今日の統合失調症的病態を指し、病気の経過が人格荒廃にまで悪化していく若年発症の痴呆という意味で、この名前が付けられました。統合失調症の実際の症状(思考障害、無為自閉、幻聴など)は個人差が大きいのですが、これらを早発痴呆というひとつの疾患単位としたのは画期的なことです。しかし、統合失調症の経過は必ずしも痴呆にいたるわけではありませんので、後に、早発痴呆という名前はこの病気の特徴を表していないと批判され、新しい名前が付けられることになります。
オイゲン・ブロイラー「統合失調症」の命名
スイス人精神科医ブロイラーがschizphreniaの語を生み出したご本人です。この語はギリシャ語のSchizo(分裂)とPhrenia(心)の二つを組み合わせたものです。心が分裂しているという誤解を与えやすいのですが、この語の正しい意味は、統合失調症の特徴である、感情、思考、行動の統合がうまくいっていないという事です。今日では統合失調症はクレペリン、ブロイラーの確立した概念をもとに、症状、予後に応じて、さらに細かいサブタイプに分類されています。病気の原因は現時点では解明されていませんが、脳の神経科学的な異常であると推測されています。最近の脳の画像テクニック、遺伝子レベルの解析は急速に進歩しつつあり、将来的には原因の解明、根本的治療も期待できそうです。