(記事掲載日/2008.02.12)

イタリアで政権が崩壊、4月に総選挙が行われることになりました。有名な国なのになじみのないイタリア政治の流れとしくみ、ここで簡単な知識だけでも学んでみませんか。イタリア政治基礎知識です。

1ページ目 【小党分立が続く近年のイタリア政治】
2ページ目 【イタリアの政治システム基礎知識】
3ページ目 【混迷続ける最近のイタリア政治情勢】


イタリア政治はどうやって展開してきたか

イタリア政治の変遷
あまりに大まかな?イタリア政党政治の変遷。1994年を境に政党地図は大きく塗り替えられた。
戦後共和制となったイタリアの政治は、中道右派のキリスト教民主党(DC)と、左派のイタリア共産党(PCI)の二大政党を軸に、中道右派連立政権が優位な政治が展開されてきました。

それはあたかも、日本の55年体制(自民党と社会党を軸にした、自民党優位の政治体制)のようでした。実際、似ている点を指摘する人もいます。

日本の55年体制が崩壊した翌年、1994年の総選挙でこの体制ががらっと変わります。冷戦構造の崩壊や、経済のグローバル化など、外的な環境の変化もあったのですが、与野党にまで浸透した癒着・汚職の表面化が既存政党への国民の不信を決定的にしたといえます。

こうして「第一共和制」は終わり、「第二共和制」が始まります。94年総選挙によってDCとPCIは分裂などをして姿を消し、新政党が続々誕生、小党乱立時代に入ります。

しかし1996年の総選挙からは、こうした政党たちが独立したまま結集し始めました。94年総選挙から実施された小選挙区制が政党の連合を促したといわれます。

右派中道は「自由の家」(当初は「自由連合」)を、左派中道は「オリーブの木」を結成、この2つの軸を中心にイタリア政治は廻り始めます。

1996年総選挙では、「オリーブの木」をはじめとする左派中道政党が勝利し、プローディ、ダレーマ、アマートらが政権を担当しました。

しかし2001年の総選挙では「自由の家」ら右派中道政党が勝利し、94年総選挙で一躍政権を獲得したベルルスコーニが政権に返り咲きます。

その間、2005年に選挙制度が再度改正され、完全比例代表制になります。翌2006年総選挙では中道左派連合が僅差で勝利、プローディが政権の座に返り咲きます。

しかし完全比例代表制の実施により、ただでさえ小党乱立の傾向が加速。2008年に入って、連立政権に参加していた「欧州民主同盟」(UDEUR)の党首マステッラ元法相の疑惑が浮上すると、UDEURはこれを不満とし政権離脱、プローディ政権は崩壊せざるをえなくなったのでした。

イタリア政党がまとまらないのは?

イタリア政党の拡散
政党間のイデオロギー的距離が大きいイタリアでは、政党は収束よりも拡散方向へ動いてしまう。
日本はこの間、野党乱立から徐々に民主党への収束がはじまり、現在は自民・公明と民主という形で穏やかな多党制に移行していきました。

しかし、イタリアはそうはいきません。

特に右派政党の路線が違いすぎます。最大のフォルツァ・イタリア(FI)というのは、はっきりいってメディア王・ベルルスコーニの個人政党。第2勢力の国民同盟(AN)はもともとファシスト党の流れ。

第3勢力の北部同盟(LN)は、経済的に豊かな北部地域の分離独立まで主張。一時、あまりに過激に運動したせいでここからさらに分裂。

さらに第一共和制時代の与党DCの生き残りもいたりするのが右派中道連合「自由の家」。「左派に対抗する」というだけで、明確な政策の一致点がないのです。ですから1つの党に大同団結する雰囲気にないわけです。

それにくらべると左派系は、大きな勢力を持っていた左翼民主党とマルゲリータが合同し新党「民主党」を結成、左翼勢力の大同団結は進んでいます。

ただ、環境政党や純粋な中道政党、さらに個人的な政党などもまだまだ健在。完全比例代表制になっているため彼らも結構勢力を持っていて、これらがただちに1つの政党になることはないでしょう。

それでは次のページではイタリア政治のしくみについてみていくことにします。