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【日本はなぜ20歳が成年年齢になっているのか】
「20歳成年制」のルーツは「大宝律令」?
大宝律令が作られた同時期に描かれた高松塚古墳の壁画(写真はウィキペディア・コモンズより)。ルーツはこの時代にある? |
当時の欧米諸国は、多くが「21歳成年制」を採用していました。またラテンアメリカ諸国では「25歳成年制」が多くありました。日本の「20歳成年制」は、ほかの国にくらべると若かったのです。
なぜでしょう。
まず、「20歳成年制」を最初に採用したのは明治9年である1876年です。「太政官布告41号」という法令によって、満20歳を成年であると規定しました。これが、その後の民法の規定にそのまま反映されたのです。
なぜ当時の明治新政府は20歳を妥当としたのでしょう。
公式には、この規定のルーツは「大宝律令」にある、とされました。701年に制定された律令では、税を満額支払う「正丁」は21歳から60歳、とされていたからです。
(これに対して61~65歳の人民は次丁、17~20歳の人民は少丁とされ、いずれも正丁より税負担が少なかった。なお、律令ではこのなかに女性は含まなかった。)
21歳、というのはもちろん「数え年」(生まれた年が0歳ではなく、1歳とする数え方での年齢)でしたから、明治においては満年齢で20歳、ということです。
このようなことから、「太政官布告41号」でも「成年」という言葉は用いられず、「丁年」という言葉が用いられていました。「成年」という言葉が出てくるのは、フランス人ボアソナードが起草し1890年に公布された民法がはじめてです(もっともこの民法は、急進的すぎるとして施行されていません)。
かつては日本の成年年齢は世界的にみて低い方だった
もっとも、「20歳成年制」を採用した理由は、他にもあったようです。江戸時代の日本では、だいたい13~15歳で「成年」扱いされていました。20歳よりもはるかに若いですね。
武士が元服によって、「○○丸」などという幼名から、大人の名前を名乗り、まげを結って大人の仲間入りをしたのはよく知られています。女性もお歯黒をしたり、また庶民でも神社で成年式をしたり、またそれを境に大人の服を着るなどという風習がありました。
このようなことから、明治政府の担当者たちは「日本人は早熟だから、21歳では遅すぎる」と考えたものと思われます。
また、平均寿命の短さが成年年齢を1歳引き下げる要因となったという説もあります。
ともかく、法治国家を建設していく上で、まずは適当に行われていた成年式の年齢を、法律によって統一する必要がありました。
また、外国との整合性をとる必要もありました。むこうが21歳成年制なのに、日本が15歳成年制では、つりあいがとれない、外国人に軽く見られる、などなどの懸念がありました。
こうして、日本は世界的に少しだけ低い水準である「20歳成年制」をとったというわけです。
日本人は「幼稚になってしまった」?
15歳で大人としての責任を追わされていた昔と違い、今の日本人は30歳になっても大人になれない人が多すぎる?(写真はイメージ) |
そんな日本で、なぜなかなか18歳への年齢引下げが行われないのでしょうか。「18歳で責任がとれるのか」「分別はあるのか」という反対意見があったりします。
しかし、諸外国はもとより、日本でも江戸時代までは15歳になると一人前の責任をとらせていたわけですから、あまり説得力がないようにも思えます。
ただ、最近の幼稚な動機での凶悪な少年犯罪の多発や、大人になっても大人になり切れない、パラサイトシングルやニート、そういうものを目の当たりにすると、ついつい、18歳じゃとてもじゃないけれども大人扱いできないよ、ということになるのかもしれません。
それが今年の国会で変わるのかどうか、注目してみたいところです。
※「なぜ日本は20歳?選挙権の年齢」についての参考書籍・資料はこちらをごらんください。
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