2ページ目 【大陸棚の境界線を決めるとされる「衡平の原則」とは?】
3ページ目 【東シナ海、日本と中国に「衡平な原則」を適用したら?】
【大陸棚の境界線を決めるとされる「衡平の原則」とは?】
大陸棚の限界は2009年までの各国の調査いかんで決定
海洋法、それは国際法の歴史でもあります。17世紀、国際法の父グロティウスが早くも「公海自由の原則」というのを唱えています。国際法は戦時法と海洋法の歴史ともいわれます。で、戦時法はともかくとして、いろんな資源が眠る海に対する共通の国際法作成は難航しました。途上国が独立してきてからはなおいっそう。
結局1950年代から3度の国連海洋法会議を経て、ようやく国連海洋法条約が締結されました(もうちょっというと、1930年代からすでにその準備は進められていました)。それでも条約発効まですごく時間がかかったのですが。
というわけでこの条約、難航につぐ難航の末の「妥協の産物」的要素がけっこう多く、まだ煮つめられていない部分がどうしてもあるのですね。その1つが、「大陸棚の限界線」についてです。
そこで、条約締約国会議で、2009年までに、「ここからここまでがうちの国の大陸棚だ」というデータを「大陸棚限界委員会」に提出して、認めてもらうことになったのです。
こうして、各国とも今、海洋調査に全力をあげています。もちろん日本もそうです。深海調査、お遊びではありませんよ。日本の「国益」がからんでいるわけです。
むかいあって350カイリとれない国同士の境界線は?
さて、200カイリだ350カイリだ、というお話をしましたが、太平洋ならいざ知らず、200カイリと言ったら370キロメートルくらいになりますから、他の国とぶつかって200カイリとれない国も多々あるわけです。フェリーで行き来できる韓国とはもちろんとれませんし、東シナ海でも沖縄と中国東岸はぶつかってしまいます。350カイリだとなおさらですね。
国連海洋法条約は、EEZについても大陸棚についても、「衡平の原則」にもとづいて国際司法裁判所などで合意するように、と規定しているにすぎません。
「衡平の原則」とは、必ずしも「中間線」をさすわけではなさそうなのです。
衡平の原則=等距離、中間線の原則ではない
「等距離原則」からいうとドイツの大陸棚境界線は点線の枠内だが、国際司法裁判所は「衡平の原則」により赤色の線の枠内をドイツの大陸棚と設定した。 |
北海は油田があることがわかり、多くの沿岸国がその権利を主張しました。北海はすべて「大陸棚」なので、その境界線を決めることになったのです。
大陸棚を、沿岸国の沿岸と等距離になるよう区分すると、ドイツ(当時は西ドイツ)の大陸棚は狭くなってしまいます。
国際司法裁判所は、「衡平な原則」とは当事者間同士が合意できることだ、として、ドイツの大陸棚を等距離原則より広く取りました。
つまり、国際司法裁判所は、当事者が合意できれば、等距離とか中間線などが必ずしも大陸棚の境界線ではなく、「衡平な原則」は「その海域によって違ってくる」ということを示したわけです。
飛び地的領土に関係なくほぼ中間線に設定した例も
この「北海大陸棚事件」の精神は、その後も生かされます。英仏海峡の大陸棚を決定した「英仏大陸棚事件」(判決1977・78)年では、フランスの目の前にあるイギリス領チャネル諸島の海域をフランスの大陸棚と決定しました。
イギリス領チャネル諸島の位置を考慮すると「衡平な原則」に欠けると判断した国際司法裁判所はほぼイギリス本土とフランスの中間線を大陸棚境界線とした。 |
この原則は、大陸棚条約が国連海洋法条約に吸収された今でも、基本的な原則と思われています。
ちなみに、EEZについても、国際司法裁判所は中間線にこだわらず、漁場としての価値などを考慮して境界線を決めています(例:ヤン・マイエン海域境界画定事件・1993年判決)