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中世のなごりを残す由緒ある小国たち

ヨーロッパの小国紹介、第二弾です。今回はルクセンブルク、リヒテンシュタイン、マルタです。成り立ちの歴史が非常におもしろい。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【むかしは大国だったルクセンブルク】
2ページ目 【中世の遺産を現在に残すリヒテンシュタイン】
3ページ目 【ヨーロッパなのに言語はアラブ系、マルタ】

【むかしは大国だったルクセンブルク】
ドイツ皇帝にもなった名門、現在も小国ながら存在感たっぷり


こちらも要チェック! 政治についての基本知識と基本用語

「ヨーロッパの小国たち(1)」
「世界再小国家、バチカン市国とは」

ベルギー、フランス、ドイツに囲まれた人口44万人ほどの小国ルクセンブルク。なぜこのような地に、20キロ四方の小さな国が成立したのでしょう。

ルクセンブルクは交通の要衝として古くから重要視されていて、古代ローマ帝国も城壁を築いてドイツ方面への足掛かりとしていたほどでした。そんなルクセンブルクを独立して統治しはじめたのが10世紀後半のジークフリート伯爵。名目上は今のドイツ、オーストリアにあたる神聖ローマ帝国の一部として存在していました。

このルクセンブルクがブレイクしたのが14世紀ごろで、伯爵家から神聖ローマ帝国の皇帝がでたり、今のチェコとドイツにまたがるあたりに領土を持ったりするようになります。ルクセンブルク自体も伯爵領から公爵領へと昇格します。

しかし、あまりに領土を広げたために、ルクセンブルク公爵家は次第に財政難に陥り、15世紀にはブルゴーニュ公国という国に売られてしまいました。ここからがルクセンブルクの苦難の始まりです。

やがてオーストリア皇帝家ハプスブルグ家の領土になったり、フランス革命の頃にはフランスに支配されたり、ナポレオン没落後はオランダの国王がルクセンブルクの大公(公爵)を兼ねたりと、外国の支配が続きます。領土も縮小していきました。

しかしヨーロッパで民族運動がさかんになると、ルクセンブルクでも独立の気運が高まり、1890年、ナッサウ家のアドルフ大公の即位によって、独立が達成されます(ただ、ルクセンブルクでは今の領土が確定した1839年を独立年としています)。

言語はドイツ語に近いルクセンブルク語。ただし、世界大戦中にドイツに占領されさんざんな目にあったためか、フランス語もよく使われるようです(両語は小学校から必修)。宗教はキリスト教カトリックが大半。

第二次大戦前は永世中立を宣言していましたが、戦後これを放棄、西ヨーロッパ諸国、特にオランダやベルギーとの関係を深くしています。「ベネルクス」とは、この3国をまとめて指す言葉で、それくらい関係は緊密です。EC、EUの統合にも熱心でした。

日本と同じ議院内閣制で、議会は一院制。現在キリスト教社会党と民主党の連立政権。陸軍900人で国を守ります。小国ながらNATO(北大西洋条約機構)にも参加。

むかしは鉄鋼業がおもな産業でしたが最近は衰退し、かわりに金融業が発達しています。

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