ペッパーの思い出は東京の思い出
仕事場が宮城県栗原郡瀬峰町(今の栗原市)から東京都港区新橋に変わったのが1987年の10月でした。東京に来て初めての休日、秋葉原でラジカセを買い、大船にあった会社の寮まで戻る道中、喉が渇いて購入したソフトドリンクがドクターペッパーでした。小学校6年生の冬にニッポン放送でドクターペッパーのCMを聴いて以来、ドクターペッパーは私にとって『憧れの東京の飲み物』でした。とはいえ、1980年代半ばには、新潟でもドクターペッパーは販売されていました。しかし、新潟で飲むペッパーと東京で飲むペッパーはどこか味が違っていたような気がします。(そんなことは無いはずですが)
転勤で4年、毎週の出張で6年(上越新幹線と吉野家は一般的新潟県人の一生分使ったと思います)、合計10年ほど東京におりましたが、現在では仕事の関係で東京に行くことは滅多に無いことになってしまいました。今回は、東京勤務時代の思い出とともに、ドクターペッパーのガラスびんの思い出をつづっていきます。
300mlリターナブルびん
当時はリターナブルびん中心に収集していましたが、ドクターペッパーもリターナブルびんがあることに感動し、即購入いたしました。表参道の紀ノ国屋でも売っていた記憶があります。
200mlリターナブルびん
当時、京浜東北線の大井町駅から大森駅に行く道の途中にあった喫茶店のチョークボードが珍しくドクターペッパーのものでして(こういうグッズはコカ・コーラやペプシコーラが一般的)、それに描かれていたびんが、確かこのデザインでありました。
300mlワンウェイびん・その1
この年はほとんど出張で1年間東京におりました。10月のとある一日、午後から半日休みを取り、都内の飲料メーカー本社を数社回ったことがあります。せっかくの機会だったので、ドクターペッパージャパンカンパニーにもアポ無しで行ってみました(良い子はまねしないでね)。会社はマンションの一室でして、当時、ドクターペッパーカンパニーを所有していた投資会社の日本事務所のようでした。