観音坂
靖国通りまで出て、本郷通りを行く。本郷通りから外堀通りに向かっていくつかの坂が存在する。その最初が観音坂である。
観音坂を上から下へ見たところ |
千代田区が建てている坂の案内板は、見た目には立派なのだが、文字が禿げているところが多く、読めないこともある。が、読めたとしてもなんだか表現が難しくわけがわからないところもある。結局この観音坂は、芦浦観音寺というのが近くにあったからその名前がついたそうだ。
さらに、北側へ行くとまた坂があり、そこには公園があった。
新坂
「淡路町公園」と近くにある地図の看板にはそう書いてあった。多くの人がお弁当を食べたりしている公園で、その隣にある坂が新坂である。東京に新坂と呼ばれる坂は多い。たいていは、明治になってできた坂で、なるほど明治維新というのは、江戸から東京へ名前が変わっただけではなく、街の構造も大きく変わったのだということがわかる。淡路公園の隣にある新坂 |
昔はここに坂がなく、人々は難儀したというようなことが、やっと読み取れるかすれた文字で坂の案内板に書かれている。
散歩をした日は休日であり、この周辺は、おそろしいほど人がいなかった。が、この公園だけはけっこう人がいる。
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