明治の政治家大久保利通暗殺の現場へ
NHK大河ドラマ『西郷どん』もいよいよ佳境を迎える。明治10年西南戦争で西郷隆盛が亡くなってしまうが、盟友である大久保利通もその翌年に暗殺される。今回は大久保利通が暗殺された現場を歩いてみようと思う。やってきたのはJR四ツ谷駅の麹町口から出るとそこは、かつての江戸城の外濠の面影がある。
明治11年(1878年)5月14日午前8時10分、明治の元勲、大久保利通は自宅があった裏霞ヶ関の自宅を馬車で出かけた。いまの迎賓館と赤坂御用地のあたりにあった赤坂離宮へ向かったのだ。ここには赤坂仮皇居があったのだ。
なぜ仮皇居なのかといえば、もともと旧江戸城西の丸御殿が皇居だったのだけれど、明治6年に火事で焼失したため、赤坂離宮が仮皇居になっていたのだ。
通勤途中に暗殺されてしまった大久保。今回はその現場を歩いてみる。
四ッ谷から上智大学脇の土手を歩く
初夏、天気のいい日はぜひこのコースを散歩してみてほしい。高い土手からは上智大学のグランド、その向こうに丸の内線が走る。線路の向こう側に迎賓館が見渡せる。暗殺の日、大久保利通が馬車でめざしたがたどり着けなかった場所だ。5月のゴールデンウイークに歩いた。桜並木が花を散らせたあと、新緑が目にまぶしい。土手はアスファルトではなく土の上を歩くというのがいい。
都心の真ん中とは思えない道
土手は、歩いてみると短く、あっという間に終わってしまう。市谷方向に歩けば、飯田橋まで続いて、けっこう歩きがいのある土手だが、赤坂側へ向かうこちらの土手は短い。しかし、僕はこの四ッ谷駅から赤坂側へ歩くこの土手が好きだ。土手が終わり、階段を降りるとそこはホテルニューオータニだ。このホテルの前の坂が紀尾井坂。明治の不平武士によるテロ行為である大久保利通の暗殺事件は「紀尾井坂の変」と呼ばれている。