散歩/江戸風情を探す散歩ルート

鰻を食べて、新吉原界隈を歩く(3ページ目)

江戸落語には吉原の話がたくさん出てくる。遊女三千人といわれた往時は想像するしかないのだが、驚いたことに古地図を見ながら歩くと吉原大門あたりの道が今と違いがなかった。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

吉原大門の見返り柳

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吉原神社の境内に掲示してあった「吉原今昔図」。一部2500円だ。
地図で吉原神社をさがす。

ここには、「吉原今昔図」というのが掲示されているからだ。
これは、明治27年、大正12年、昭和20年、昭和33年、平成5年の吉原の地図である。各店の名前が入っている。これが実におもしろい。2500円で販売されているということが、消えそうな文字で書かれている。どこで売っているのだろう。
悩んでいると、Rさんは果敢にもそこに書かれている電話番号にケータイから電話。
すると、すぐに持ってきてくれるとのこと。2部お願いする。
しばらくすると初老の男性が現れ、「吉原今昔図」を手渡してくれた。
これを見ると、今と昔、お店はずいぶん変わったが、道はほとんど変わっていない。

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吉原大門の交差点に小さな柳がある。それが見返り柳だ。
明治27年の図では、周囲が田んぼで描かれている。
古今亭志ん生の落語にもこんな一節が出てくる。

「惚れて通えば千里も一里、長い田んぼもひとまたぎ」

昔は吉原に行くには、田んぼを越えていかなくてはならなかったのだ。
さらに大正12年までの図には周囲が「お歯黒どぶ」という堀で囲まれている。
今も残る、「吉原大門」という交差点あたりの、少し曲がった道は昔のままだ。
ランドマークとして吉原今昔図のどの時代にも存在するのが、「見返り柳」である。
今も車の行きかう交差点にそれはある。前に案内板があった。
「旧吉原遊郭の名所のひとつで、京都の島原遊郭の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったことから『見返り柳』の名前がついた」
というようなことが書かれている。なるほど、風情のある柳だ。

大雨に降られてしまい、散歩中止!

7
傘を差した人たちで浅草への舗道はいっぱいになった。
この見返り柳のあたりに来たときに、急に空が暗くなる。そして、ポツポツと雨が降り始めたのだ。

天気予報では、夕方から雨であったため3人とも折りたたみの傘を持っていた。
少々の雨なら歩こうと言って、山野掘り公園方向へ歩いたのだが、雨足は強くなるばかりだ。風も強くなってきて、折りたたみ傘ではしのげなくなってきたので、近くにある喫茶店へ駆け込んだ。

しばらく待って、雨が小降りになったところで、浅草駅まで歩く。この日の散歩はここで、中止まばらだった人の波が浅草駅へ近づくにつれいっぱいになってきた。



<関連リンク>
So-net blogChinchiko Papalog高橋お伝の弁護をしよう。
吉展ちゃん誘拐殺人事件
尾花
吉原 (東京都) - Wikipedia
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