東海道の起点、日本橋から歩き始める
日本橋の0キロ地点から、品川に向けてスタート! |
というわけで、今回は東海道の起点である日本橋から品川まで歩いてみた。現代人の我々にとって、日本橋から品川という距離7.2kmは散歩としては少し長いのかもしれないけれど、江戸時代の人にとってはさほどの距離ではない。なぜなら、江戸時代の人たちは近所で東海道の旅をする人がいたならば、みんなで品川まで見送りのためにいっしょに歩いた距離なのだ。見送りに行ったということは、帰ってこなくてはいけないのだが、江戸の庶民はこうして品川まで歩くこともひとつの楽しみだったのである。
お江戸日本橋 七つ立ち
初のぼり 行列そろえて アレワイサノサ
コチャ 高輪 夜明けて 提灯消す
コチャエ コチャエ
日本橋のたもとにはしだれ桜が一本、ぽつんと咲いていた。都会で見る桜は、なんとも逞しい |
つまり、七つ(午前4時)に日本橋をスタート。あたりはまだ薄暗い。そして、高輪あたりで夜が明けて、提灯を消すというこの感覚を味わいたかったのである。
「でも、なんで七つなんですか?」
とNくん。その時間に木戸が開くからだよ。
「えっ、木戸って?」
日本橋のたもとに建つ来歴の碑。沈丁花が咲き、行きかう人の足を止める |
「初のぼり」ってわかる?
Nくんは答えずに、カメラのシャッターを切っている。京都へ行くことを昔は「のぼり」だったのだ。逆に京都から他の土地に行くことは「くだり」なのである。今でも関西は「上方」というでしょ。上方からの物産は「下り物」だったわけで、それは上等なもので、それにたいして「下らない物」というのはたいしたことはないものという意味だ。今でも粗品という意味で「これは、くだらないものなんですが」と使う。
そして、江戸の人々は京都へ旅をする人を見送るために品川までついて行った。それがまた娯楽のひとつだったのだ。僕たちの今回の散歩は江戸の人のように日本橋から品川まで歩くのである。