このところ、神社仏閣めぐりが密かなブームになっています。古今東西、世の中が混迷を極めると、わたしたち人間は、目に見えない力に救いを求めてきました。

ただ、多くの人々は、効果的な祈りの方法を知らないのが現実です。わたしたちは、神社にお参りしたり、念仏を唱えたり、教会でお祈りをしたりしただけで、幸せになれるほど単純な存在ではありません。

スピリチャリズムの世界では、単なる他力本願だけで人間のこころを救うことは出来ないと考えます。

今回はスピリチャルリズムの観点から、効果的に願いをかなえてもらう祈りの方法を考えます。

信じるものは救われる?

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人間はただひたすら神に祈れば救われるほど単純なものではありません
混迷を極め、ますます未来の光が見えにくくなる現代社会。古今東西、このような時代は、何度も訪れましたが、そのたびに、多くの人々の関心が、目に見えない霊的な世界へ向けられてきました。

人々は神仏に救いを求め、宗教にはまり、言われるがまま、題目を唱え、意味不明の教義に殉じたりしますが、こころの平和を得ることは、はなはだ困難です。わたしたちのこころは、宗教や念仏などのいわゆる他力本願だけで救われることはありません。

確かに、過去の歴史をふりかえると、親鸞聖人や日蓮上人のごとく、人々を「ただひたすら題目や念仏を唱える」ことにより救済した、偉大な宗教家も存在しましたが、これは、当時の無知な人々を救うためには、念仏を唱える他力の中で、神仏の存在を悟らせ、生死の苦しみを忘れさせる以外に方法がなかったからです。

科学が発達して、さまざまな情報が氾濫する世界で生きるわたしたち現代人が、果たしてこのような他力本願だけで幸せになることが出来るのでしょうか?

わたしたちは、ただ、神を信じ祈るだけでは、なかなか救われそうもありません。わたしたちが幸せになるためには、正しい知識を持ちながら、知的に霊の世界と接する必要があります。

神仏に願いを聞いてもらうには?

わたしたちは、ただ神仏に祈りさえすれば救われるというものでは有りません。神仏に全て身を捧げて、こころを無にしても、悟ることは出来ません。

なぜならば、わたしたちのこころの中には、既に神仏のわけ御霊が存在し、その分身を磨き成長させることがわたしたちの役目だからです。

わたしたち人間は、ロボットではないので、宗教に入信して、ただ言うなりに、その教義に従い、自分自身を失ったのでは、人間としての人生の目的を果たすことが出来ないということでもあります。

わたしたちが、神仏に願いを聞き入れてもらうために行わなくてはならない最も大切なことは、生きてさまざまなことを学べる環境とチャンスを与えてもらった事に感謝することと、自分が正しいと思う目的を達成するために努力してゆくことです。

そうすれば、神仏は、いつかは必ず願いを聞き入れてくれます。正しい目的に対する想念の力は、本人の努力と勇気から生まれるもので、宗教の実践や自分よがりのお題目から生み出されるものではありません。

ですから、「神仏のお告げ」とかなんとかいって予言したり、お札を買わせたり、お守りを強制したりする指導者や教祖を信奉すると、逆に神仏は、願いを聞き入れてくれなくなってしまうので注意が必要です。

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