日本画の境界線を超えボーダレス、グローバル化へ
ガイド:コンクールでもそうですが、「日本画」という言葉を使う場合、その定義が問題になりますね。これは古くて新しい問題で、「日本画」という言葉には宿命的に付いてまわります。この[日本画]サイトでは大まかにいって、日本伝統の技法で描いた明治以降の絵画を日本画、日本画の公募展に出したり、日本画家に師事したり、大学で日本画科に籍を置いたりした人を日本画家としています。だけど必ずこの範囲に入らない人が出てくるんですよね。というよりそんな規格外の人を待っていたりして…。岡村桂三郎 |
町田久美 |
廣田:難しい問題ですね。日本画のような洋画があったり、洋画のような日本画があったり。でも今の状況は、「新しい日本画」を目指している人がいるようには思わないのですが…。作家も素材が自分に合っているとか好きだからという理由の人がほとんどではないでしょうか。特に若い作家では…。見る側から考えると日本人は何となくの分類で納得できてしまい分類したがりますが、海外の人には正直まったく関係のないことで素材についてだけは詳しく聞かれました。台湾では説明すると「ああジャオツァイ(膠彩)」と言って納得していました。だから日本画は海外に出るとワークスオンペーパー(少し意味合いが違うように思いますが…)だったり膠彩だったりする。日本画という言葉は日本国内だけのものなのですよね。
田中武 |
廣田:この春草の言葉の真意は今ではわかりませんが、日本人画・ジャパニーズペインティングということですよね、きっと。だから分類は必要ないということで、敢えて分類するなら素材でということになるのでしょうか。実際、海外に挑戦するにはそうなってしまっていますからね。
阪本トクロウ |
ガイド:ボーダレス、グローバル化という視点で具体的にはどんな作家がいますかね。
立島:フジイフランソワは興味ある作家です。いまいち素性がわからずにいるのですが、こないだの日経日本画大賞の時に少しだけ話しました。今度ゆっくり取材したい作家です。
池永康晟 |
ガイド:これまでたびたび話題になってきた日本画の境界線ですが、今後海外のアートフェアやネットから若い世代がスッと出てきて話題をさらうようになると、「日本画」の定義も変わるかもしれませんし、定義そのものが風化してしまうかもしれません。どっちにしても、さり気なく時代の節目を作ってしまうようなスケールの大きなアーティストに出てきてもらいたいですね。本日はありがとうございました。